(※写真はイメージです/PIXTA)
強がりのLINEと、3県目の限界
三重県に入るころには、ヒロユキさんの腰痛は深刻なレベルに達していました。朝、車から降りるたびに「ウッ」と声が漏れ、ゆっくりとした動作でなければ靴下も履けない。夜中に何度も目が覚め、浅い眠りのまま迎える朝。鏡に映る自分の顔は、「自由を満喫する男」ではなく、ただひどく疲れ果てた老人でした。
それでも、レイコさんには本当のことが言えません。
「今日は伊勢志摩の海をみてる。贅沢な時間だよ。レイコも来ればよかったのに(笑)」
そんなLINEを送りながら、彼がスマホで検索していたのは伊勢神宮の観光スポットではなく、「腰痛 速攻 治す」「近くのビジネスホテル」でした。
豪華なウッドパネルの内装よりも、ただの真っ平らなベッドが欲しい。LEDのお洒落な照明よりも、暗闇の中で響く救急車のサイレンがない静かさが欲しい――。3県を回ったところで、ヒロユキさんはついに限界を迎えました。理想の旅は、身体の衰えという現実にあっけなく敗北したのです。
60代の理想と身体のギャップ
ヒロユキさんのように、定年後のアクティブな活動を夢見る人は多いですが、公的なデータは「身体の現実」をシビアに物語っています。
厚生労働省『令和4年(2022年)国民生活基礎調査』の「有訴者率(病気やけがなどで自覚症状のある者の割合)」によれば、65歳以上の高齢者において「腰痛」は男女ともにワースト1位となっています。人口1,000人あたりの有訴者数は男性(65歳以上)が88.0(約8.8%)、女性(65歳以上)は113.8(約11.4%)。全世代の平均と比較しても、65歳を境に急激に上昇します。特に環境の変化に敏感なシニア世代にとって、車中泊のような「慣れない姿勢での睡眠」は、この潜在的なリスクを顕在化させ、症状を悪化させてしまうのではないでしょうか。
内閣府『高齢者の日常生活・地域社会への参加に関する調査(令和5年度)』をみても、健康に関する悩みのなかで「不眠・睡眠の質の低下」を挙げた人の割合は、60歳以上の層で26.4%(約4人に1人)にのぼります。
ヒロユキさんのように「場所が変わると眠れない」という症状は、加齢による自律神経の調整能力の低下と密接に関係しています。
「ただいま」という、最高の贅沢
出発からわずか1週間。ヒロユキさんの車は、予定より大幅に早く自宅のガレージに滑り込みました。
「あら、どうしたの? 日本一周は?」
驚くレイコさんに、ヒロユキさんは苦笑いしながら答えました。
「いや……静岡も愛知も三重も、もう十分満喫したから。やっぱり、家が一番だなと思って」
その晩、ヒロユキさんはレイコが淹れてくれた熱いお茶を飲み、慣れ親しんだ綿の布団に身を沈めました。腰を優しく包み込む布団の柔らかさと、静かな寝室。
「ああ……これだ……」
300万円かけた豪華なキャンピングカーよりも、何十年も使い古したこの四畳半の寝室こそが、自分にとっての「天国」であったことに、彼はようやく気づいたのです。自由とは、どこか遠くへ行くことではなく、無理をせず、自分らしくいられる場所をいつでも持っていること。翌朝、久しぶりに深く眠れたヒロユキさんの腰の痛みは、和らいでいました。
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