認知症の進行は、本人の健康のみならず、長年守り続けてきた大切な資産の運用にも深刻な影響を及ぼします。ある日突然、所有者である親の意思が認められなくなったとき、残された家族が直面する厳しい現実とは? ある親子のケースを通して、今から備えておくべき具体的な対策について見ていきます。
娘の私でもダメなんですか? 認知症で「資産ロック」された埼玉県内の実家。82歳父の施設代を捻出できない54歳長女の絶望 (※写真はイメージです/PIXTA)

父の家なのに売ることができない…

都内在住の高橋美智子さん(54歳・仮名)は、埼玉県内の実家で暮らす父・高橋和夫さん(82歳・仮名)の介護方針について悩んでいました。和夫さんは1年前にアルツハイマー型認知症と診断され、最近では自宅内での転倒が相次いでいました。美智子さんは、和夫さんを介護付き有料老人ホームへ入所させ、その一時金や月々の利用料に充てるために、誰も住まなくなる予定の実家の売却を計画していたのです。


売却に向けた媒介契約を結ぶため、美智子さんは大手不動産会社の担当者を実家に招きました。和夫さんも同席し、居間のテーブルを囲んで話し合いが始まりました。


「お父様、今日はご自宅の売却についてお話を伺いに来ました。こちらを売って、新しい施設に移るということでよろしいでしょうか」


担当者の問いかけに対し、和夫さんはぼんやりと窓の外を眺めながら、「ああ。でも、庭の柿の木はまだ切っちゃダメだよ」と、売却の是非とは直接関係のない返答をしました。担当者が改めて、売却価格の目安や契約書の内容について説明を試みると、和夫さんは次第に戸惑いの表情を浮かべ、「そんなことは知らない。勝手にしなさい」と口にし、そのまま自室へ戻ってしまいました。


担当者は困惑した表情で、「和夫さんの様子を見る限り、売却に関する意思能力が不十分であると判断せざるを得ません。売買の仲介を引き受けることは不可能です」と告げます。


美智子さんは驚き、「父は認知症の診断を受けているものの、長女である私が代理でサインをすれば手続きは進められるのではないか」「固定資産税も自分が管理しているし、自宅の売却は父の生活のためだ」と食い下がります。しかし不動産会社の回答は、やはり「仲介は引き受けられない」の一点張りでした。


「不動産売却は所有者本人の重要な権利行使です。ご家族であっても、法的な代理権がなければ勝手に処分することはできません。本人の意思に基づかない契約は後日無効になるリスクがあり、会社としてその責任を取ることはできないのです」


結局、和夫さんの実家は売却活動に入ることすらできず、手すりの設置などのバリアフリー化を目的としたリフォーム契約さえも、本人の同意能力が疑わしいとして施工業者から難色を示されたといいます。