(※写真はイメージです/PIXTA)
「手出し不要」のサービスが奪った、77歳夫婦の日常
東京都内にある入居一時金5,000万円超の介護付有料老人ホーム。ここで暮らす加藤昭夫さん(77歳・仮名)は、元大手企業勤務。現在は老齢年金と企業年金合わせて月33万円を受給し、およそ8,000万円の金融資産を保有しています。 2年前、妻の和代さん(75歳・仮名)の足腰が弱くなったことを機に、自宅を売却して夫婦でこの施設に入居しました。
施設内はバリアフリーが徹底され、24時間体制で看護師が常駐しています。食事は専属の料理人が作り、掃除や洗濯といった家事全般はすべてスタッフが代行する契約です。昭夫さんは入居当時をこう振り返ります。
「老後はプロにすべて任せるのが一番だと考えていました。妻に家事の負担をかけず、自分も余生をゆっくり楽しむ。それが現役時代から思い描いていた理想の形でした」
しかし、入居から半年が経過したころ、昭夫さんは妻の変化に気づきます。 以前は得意だった料理や近所への買い物という「日常の動作」が一切不要になったことで、和代さんが一日の大半をぼんやりと過ごすようになったのです。
「ここでは、何から何までスタッフがやってくれます。和代が少し動こうとすると『座っていてください』と先回りされる。それが彼女には、まだできるはずのことを『取り上げられた』ように感じたんでしょう。次第に、自分の家なのに勝手に動いてはいけないような、妙な遠慮が生まれてしまったんです」
家事という生活のリズムを失った和代さんは、外出することさえ億劫がるようになりました。昭夫さん自身も、施設内のコミュニティに馴染めずにいます。
「皆さん、それなりの社会的地位を築いてきた方ばかりです。プライバシーへの意識が高く、廊下ですれ違っても軽い会釈のみ。以前の住まいのように、玄関先で立ち話をしたり、お裾分けをしたりといった関わりはありません。お金でサービスを完結させている分、他人を必要としないのかもしれません」
和代さんは現在、自室の椅子に座ってテレビを眺める時間が増えました。昭夫さんは、週に一度訪問してくる長男に「ここは退屈だ」と漏らした際のやり取りが忘れられません。
「息子からは『あんなに高い金を払って入ったのに、贅沢を言うな』と一蹴されました。確かに、外から見れば安全で快適な環境でしょう。ただ、自分たちの意思で生活を動かしているという実感が、ここでは驚くほど薄れてしまうのです」
良かれと思って選んだ「何もしなくていい生活」が、かえって二人を無気力にさせてしまった。加藤さん夫妻は今、自らの手で生活を動かせないもどかしさの中にいます。
