デジタル化やジョブ型雇用への移行が叫ばれ、かつての露骨な派閥争いは鳴りを潜めたかのように見える令和のビジネス界。しかし、メガバンクのような伝統ある組織には、いまもなお「学閥」という名の目に見えない境界線が引かれています。ただ同じ学び舎で過ごしたというだけで生まれる、心理的な安全距離。ミスをしたときの「まあ、あいつなら」という少しばかりの寛容さ。そして、公式な会議のあとに共有される「ここだけの話」。どれほど現場で汗をかき、組織に貢献しても破ることのできない壁の正体とは。本記事では社会保険労務士法人エニシアFP共同代表の三藤桂子氏が、Aさんの事例から定年後のアイデンティティ再構築について考えます。※個人の特定を避けるため、事例の一部を改変しています。
40年前、受験に失敗したあの日、私の人生は決まっていたのかもしれない…月収60万円、MARCH落ち59歳メガバンカーの告白。「高学歴で無能な同期」を直視できない、どす黒い嫉妬の正体【社労士FPの助言】 (※写真はイメージです/PIXTA)

挫折から始まった人生…「持たざる者」が味わった中高時代

現在59歳のAさんは、メガバンクで、法人向けの専門職としていまも現役で働き続けています。

 

学生時代は有名私立中高一貫校に通っていました。当時、その学校に通う生徒の多くは、親が会社役員や医師等、裕福で高学歴な家庭ばかりでした。一方、Aさんの両親は高卒で、小さな工場を経営していました。

 

「子どもには早くから充実した教育を受けさせ、都内の一流大学へ入学させたい」。そんな両親の気持ちから、Aさんを私立の中高一貫校に通わせたようです。幸いなことに両親の工場は、小さいながらも親会社からの受注が安定していたため、一人っ子のAさんの学費の工面に問題はありませんでした。しかし、Aさん本人は入学直後から自身の生い立ちとのギャップに悩まされることになります。

 

休み時間、クラスメイトたちは親の会社や役職、海外旅行の自慢話で盛り上がり、自然とグループができていきました。Aさんが親について話すと、「聞いたこともない会社だな」「高卒なの?」とからかわれ、次第にクラスで孤立し、一人で過ごすように。「いつか一流大学に受かって、あいつらを見返したい」。いじめに近い扱いを受けながらも、その反骨心がAさんの支えでした。

 

しかし、18歳の春。模擬試験では合格圏内と判定が出ていたのにもかかわらず、本番のあまりの緊張から力が発揮できず、希望していた早慶に落ち、MARCHにも届かなかったのです。「浪人して親にこれ以上の負担をかけるわけには」と、最後にようやく受かった大学に進学することになりました。

 

大学入学後のAさんは、周囲が飲み会、遊びに呆けるなか、必死の努力を重ねました。

 

日商簿記1級を取得。『日本経済新聞』を隅から隅まで読み込み、主要企業の業績推移をスクラップしては独自のマクロ経済分析を行いました。大学の資料室では、『有価証券報告書』を広げて財務分析。さらに、アルバイトで稼いだお金で語学学校に通い英語力を磨く傍ら、名鑑を頼りに金融業界で活躍する先輩を探し出し、手書きの熱い手紙を送っては、アポイントを取り付けて就職活動のコネづくりに奔走します。ときには、自分の行きたかった他大学の公開講座や専門セミナーに潜り込むことさえありました。

 

そして迎えた就職活動。Aさんは必死の努力が実り、「夢のメガバンカー(当時は都市銀行)」への切符を手にしたのです。「今度こそ、勝ち組になれた」そう確信したAさんでしたが、そこで待っていたのは、過酷な現実でした。