銀婚式の旅行のあとに訪れた、突然の別れと現実

恵子さん(仮名・52歳)は、結婚25年目で夫を亡くしました。夫とは大学の同級生。派手なことは好まず、「いぶし銀みたいな夫婦でいようね」と笑い合うような関係でした。

その年の夏の終わり、久しぶりに家族4人がそろいました。大学4年生の長男、高校3年生の次男。銀婚式を兼ねて、近場ではあるものの、1泊の小さな旅行に出かけたのです。

「子どもたちの手が少しずつ離れたら、次は、私たちの時間の使い方だね」

そんな話をしていた矢先の、突然の別れでした。

夫はメーカー勤務の会社員で、年収はおよそ900万円。家計の主導権は夫が握っており、恵子さんはパート勤務で年収約100万円。毎月、生活費として渡されたお金の範囲でやりくりし、不足があればその都度もらう――そんな形で、家計は回っていました。

自宅は持ち家のマンション。住宅ローンは残っていましたが、団体信用生命保険により、夫の死後、残債はすべて返済されました。一方で、手元の預貯金は300万円ほど。死亡保険金と死亡退職金を含め、受け取った金額は合計2,500万円でした。

「このお金でどうにか生きていかなければ……」

夫がいなくなった今、子ども2人を守れるのは自分しかいない。その現実が重くのしかかっていました。ところが、四十九日の法要が終わってしばらくしたある日。78歳になる義母が家に来ると、突然こう切り出しました。

「私、あの子にずっと助けてもらっていたから……これからのことを考えると不安で。遺してくれたお金、私にも分けてもらえないかしら」

「仕送りがなくなると困る」義母の要求

生前、夫は実母である義母に生活費を毎月援助していました。しかし、恵子さん自身は、その金額や期間、どこまで続くものだったのかを詳しく知りませんでした。

義母いわく、仕送り額は月3万円。年間36万円だったといいます。遺産分けとして10年分ほどまとめてもらうのでもいいし、仕送りを続ける形でも構わない。そう告げてきたのです。

恵子さんは、これからの生活をどう立て直すか、それだけで精一杯の状況。一方で、義母は言葉を取り消す様子もなく、静かに返事を待っています。その場の空気は、なんとも言えない重さに包まれていたといいます。

結局、その場では「分かりました」とも「できません」とも言えず、返事は保留にするしかありませんでした。