「物価の安い国で、退職金と年金を使い優雅に暮らす」。かつて多くの人が夢見たこの老後プランが今、歴史的な円安とインフレの波に呑まれ、崩れ去ろうとしています。完璧に見えた資金計画さえも、為替の変動ひとつで簡単に破綻してしまうのが現実です。ある夫婦のケースをみていきます。
「月20万円でプール付き大豪邸」を夢みてタイへ移住した〈退職金2,500万円〉60代夫婦。猛烈な〈円安と物価高〉で「年金月28万円生活」が崩壊、無念の帰国 (※写真はイメージです/PIXTA)

待ちに待った「年金生活」初日…計算が合わない

「あの頃の為替レートは、1バーツ=3.4~3.5円ほどでした。65歳になれば、夫婦合わせて月額28万円の年金が入る。当時のレートなら約8万バーツです。バンコクで8万バーツあれば、プール付きのコンドミニアムに住んで、毎日ゴルフをしてもお釣りがくる。海外で悠々自適な老後を送れるはずだったんです」


佐藤敏夫さん(66歳・仮名)。大手メーカーを60歳で定年退職し、タイ・バンコクへの移住を決行したのは2019年のことでした。退職金2,500万円と貯蓄を合わせた資産は約4,000万円。佐藤さんが描いたプランは、緻密かつ合理的なものでした。

 

60歳~65歳の5年間: 年金は受給せず、貯蓄を取り崩して生活する。タイの物価なら月20万円(約6万バーツ)もあれば十分に暮らせるため、5年間で1,200万円程度の消費で済む。


65歳以降: 満額の年金受給(月28万円)がスタート。これ以降は貯蓄に手を付けず、年金だけで「王様のような生活」を維持できる。残った資産は医療費や予備費として温存する。

 

「最初の数年は計画通りでした。コロナ禍で移動は制限されましたが、物価は安く、資産の減り方も想定内。私たちは『あと数年で年金が入る。そうすれば一生安泰だ』と、65歳の誕生日を指折り数えて待っていたのです」

 

しかし、世界経済の潮目は、佐藤さんが待ち望んだ「その日」に向けて、残酷なほどに悪化していきました。2024年、佐藤さんは満を持して65歳を迎え、年金の受給が始まりました。しかし、口座に振り込まれた「28万円」の価値は、渡航時の2019年とは別物になっていました。


「いつの間にか、レートが1バーツ=4.3円を超えていました。28万円を両替しても、手元に残るのは約6万5,000バーツ。渡航時の計算より1万5,000バーツ(約6万円相当)も目減りしていたのです」

 

さらに佐藤さんを打ちのめしたのは、タイ国内の激しいインフレです。経済成長に伴い、バンコクの物価は5年前とは比較にならないほど上昇していました。

 

「以前は100バーツ(約350円)でお釣りがきたランチが、今は200バーツ近くします。電気代も高騰し、コンドミニアムの家賃更新時には値上げを要求されました。私が頼りにしていた年金だけでは、とても生活を維持できなくなりました」


誤算はそれだけではありません。60歳からの5年間で切り崩した貯蓄も、円安の影響で想定以上に目減りしていました。