(※写真はイメージです/PIXTA)
元教員の伯父の葬儀、参列者は数えるほど…
「伯父が亡くなりました。82歳でした。元中学校教師だったんです」
田島大輔さん(45歳・仮名)は、母方の伯父である佐藤昭さん(82歳・仮名)の訃報を受け、久々に地元に帰ったといいます。伯父は、中学校の数学教員を定年まで勤め上げた、厳格で真面目な人でした。大輔さんにとって、伯父は少し気難しく、話しにくい存在でしたが、教え子からの人望は厚い人だったと記憶しています。
「子どものころ、正月に伯父の家に遊びに行くと、とんでもない枚数の年賀状が届いていました。ただただ圧倒された記憶があります」
伯母(伯父の妻)はすでに他界しており、子どももいなかったため、葬儀の準備は、大輔さん世代の親戚が中心となって行うことになりました。教え子から慕われていた元教師の伯父の葬儀。多くの弔問客が訪れることを想定していました。斎場の受付には、香典や芳名帳の準備が滞りなく進められていました。
しかし、通夜が始まっても、斎場の席はほとんど埋まりません。訪れたのは、親戚が15人ほど。広い斎場に、ポツン、ポツンと人が座っている光景は、あまりにも寂しいものでした。
「なんで誰も来ないんだ……」
あれほど慕われていた伯父の葬儀が、なぜこれほど閑散としているのか――大輔さんは、言いようのない違和感を覚えていました。告別式も、状況は変わりませんでした。結局、最後まで親族以外の弔問客は、ほとんど訪れることはなく、あれだけ準備していた香典返しの品は、そのほとんどが手付かずのまま残りました。
葬儀の後、親族で伯父の思い出を語り合うなかで、その理由が少しずつ見えてきました。
伯父が住んでいた地域では過疎化が進み、教え子たちのほぼ全員が町を出ていること。そして伯父は定年退職後、当初は地域活動にも積極的でしたが、伯母が亡くなってからは地域からも孤立し、人と会うことを億劫がるようになっていたというのです。自慢だった教え子たちとの交流も年賀状のやり取りはあったものの、いつしか途絶えていきました。晩年は近所付き合いもほとんどなかったといいます。
親戚が知っていたのは、あくまで「元教員」として、教え子たちから慕われる姿だけ。退職後、伯父はゆっくりと社会とのつながりを失い、孤立を深めていたのです。