親の介護に直面するこども世代の負担は、年々深刻化している。40代の高蔵小鳥さんも、母を介護するなかで仕事との両立に悩んだ1人だ。母が「認知症」と「胃がん」を患っていることが同時期に発覚し、生活は一変。さらに2年後「バセドウ病」であることがわかる。様々な苦労を乗り越え、ようやく退院した母親。しかし、問題は山積していて――。旦木瑞穂氏の著書『しなくていい介護』(朝日新聞出版)より、高蔵さんの事例をもとに、介護において「手放してもいいこと」についてみていく。
年金月5万円の84歳母に〈月15万円〉を援助する40代派遣社員の一人娘…「友だちにも言えない」「自分の老後も不安」仕事から帰宅後、母から放たれた耳を疑うひと言 (※写真はイメージです/PIXTA)

献身的な介護が母にもたらした大きな変化

母親は、胃がん以降自己免疫疾患の一種である「バセドウ病」になり、そして脈が異常に少ないことが判明してペースメーカーを入れる手術を受け、退院した月の月末、喘息を発症していた。その後、骨がスカスカになっているということがわかり、骨密度を上げる注射を週2回2年間、訪問看護の時にお腹に打ってもらっていた。

 

母親の通院が増えることが決定し、高蔵さんの有給休暇はほぼ全部、母親のために使い果たした。それでも足りない年もあり、派遣を始めて1年目、2年目はやむをえず欠勤することもあった。

 

その間、あまり家の中や施設に閉じこもってばかりではいけないと思い、初めは近くのレストランにランチに行くことからはじめ、母親が元気になってきてからは、年に1〜2回は京都や金沢などへの旅行やドライブに出かけた。

 

胃がんの手術以降、思うように食事ができなくなってしまった母親は、現在も肉や刺身は苦手だが、それ以外は食べられるようになった。

今の生活を続けることはできない…働きながらの「在宅介護」が難しいワケ

2024年3月。母親の認知症発症と胃がん手術から5年の月日が流れた。

 

5年間通院してきた病院の主治医には、「最終のCT検査で何もなければ、いったん通院は終わりです」と言われた。「バセドウ病」の方の医師からも通院の間隔を延ばす話があり、経過は順調だ。

 

「認知症があるので、身体が元気になると活動的になる分、目が離せないのは変わりません。でも、月に4回も通院していたのが、行かなくて良い月もでてきて、介護が少し楽になりました。このまま、穏やかに過ごしてくれるといいな〜なんて思っています」

 

高蔵さんは、再び働き方について考えていた。

 

「一番の理想は、時給が高く働く時間を減らせること。それは時間の余裕と、心の余裕を生むことだと思います。母の認知症の進行を見ていると、在宅介護をするうえで、今の方法では通用しなくなる日は近いなと感じています。週に3日ほど仕事に出て、2日間はリモート、そんな働き方が私にとっての理想ですが、派遣という仕事はきっちり終われて、休みの融通もきくという反面、職種にもよりますが、給与があがりにくいという側面があります」

 

母親の年金は、ひと月5万円ほど。母親の医療費や介護費用のほか、生活費なども入れたらそれでは全く足らないため、不足分は高蔵さんが補っている。

 

「私と母は一緒に住んでいますが、世帯分離をしていて母は単独非課税世帯のため、たまに市から助成金などがある時は助かっています。ペースメーカーを入れたため、障害者手帳を持っているので、医療費はかなり抑えられています。『介護費用限度額』で後日戻ってくるお金もありますが、母の介護費用は4万くらい。私は毎月15万円くらいを母との生活費に充てていますが、ほとんど貯金ができず、私自身の老後のお金の問題は切実です」

 

派遣の高蔵さんにとって、苦しい生活が続いていた。