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正社員登用が一筋の光明に…生き方を見直すキッカケになった「介護生活」
転職活動をしようかと思っていた2025年の1月。派遣先の子会社から正社員登用の話があり、4月から正社員として働き始めることになった。
高蔵さんは、「週に1〜2回リモートもあり、勤務時間が8時間から7時間になるため、これまでよりも働きやすそうです」と胸を躍らせる。母親を懸命に介護しながらも、実直に働く姿勢が認められた結果に違いない。
42歳まで、家のことは母親に任せきりで、家事も家計もわからなかった高蔵さんだが、これまでの約5年で目覚ましい成長を遂げてきた。
「最初の1〜2年は、見えない、わからないものと向き合うグレーな期間が続き、精神的にも肉体的にも疲弊しました。しかし、介護は自分の生き方を見直すきっかけになりました」
たられば言っても仕方がないことはわかっていても、「母が認知症でなければ……」と思ってしまうこともあったと言う。だが今は、「介護は半分仕事のような気持ちでしている」と話す。
「できないことも増えてきていますが、忘れてしまうことをそれほどマイナスに考えず、『私がいるんだから、お母さんは別に忘れても困らないでしょ』と母にはよく言っています。それでも落ちこむことはありますが、自分で自分に『私は今できることの最善を尽くしている!』って自分を励ましています。だから、友だちと会うことがあっても、私はほぼ母の介護の話はしません。聞く方もしんどいかなと思いますし、わざわざ母の介護の話をしなくても、ガス抜きはできているかなと思っています」
どうしようもなくなった時は、1人でカフェに行ったり、ドラマを見たり、早く寝てしまったりするなどの気分転換をしている。ブログを書いて気持ちを整理することもある。
「幸いにも大きな病気も早めに見つかり、母の命は助かっています。時々とんでもなくボケたことを言いますが、家で吉本新喜劇が繰り広げられていると思うようになり、介護を始めた当初ほど、苦しむことはなくなりました。手を焼くことも多いですが、もともと愛情深く、優しい母なので、私が1人で看れるうちは、在宅介護をするつもりでいます」
84歳になった母親は、昨年の夏くらいから、時々高蔵さんのことさえわからない時があり、「娘はどこ?」と言ったり、仕事から帰ってくると、「なんでここに帰ってきたの?」と言うように。要介護認定は、更新時に3になった。要介護3であれば、特養に入所できる。高蔵さんの場合は世帯分離しており、母親は非課税なので、費用も低いはず。認知症でも特養に入ることは可能だ。
筆者は、介護は介護者と被介護者の「納得のプロセス」が重要だと考える。42歳まで母親に甘えてきた恩返しもあるかもしれないが、もう十分返せたのではないだろうか。母親が高蔵さんのことを完全にわからなくなった時が、一つの区切りかもしれない。
旦木 瑞穂
ノンフィクションライター/グラフィックデザイナー
