親の介護に直面するこども世代の負担は、年々深刻化している。40代の高蔵小鳥さんも、母を介護するなかで仕事との両立に悩んだ1人だ。母が「認知症」と「胃がん」を患っていることが同時期に発覚し、生活は一変。さらに2年後「バセドウ病」であることがわかる。様々な苦労を乗り越え、ようやく退院した母親。しかし、問題は山積していて――。旦木瑞穂氏の著書『しなくていい介護』(朝日新聞出版)より、高蔵さんの事例をもとに、介護において「手放してもいいこと」についてみていく。
年金月5万円の84歳母に〈月15万円〉を援助する40代派遣社員の一人娘…「友だちにも言えない」「自分の老後も不安」仕事から帰宅後、母から放たれた耳を疑うひと言 (※写真はイメージです/PIXTA)

正社員登用が一筋の光明に…生き方を見直すキッカケになった「介護生活」

転職活動をしようかと思っていた2025年の1月。派遣先の子会社から正社員登用の話があり、4月から正社員として働き始めることになった。

 

高蔵さんは、「週に1〜2回リモートもあり、勤務時間が8時間から7時間になるため、これまでよりも働きやすそうです」と胸を躍らせる。母親を懸命に介護しながらも、実直に働く姿勢が認められた結果に違いない。

 

42歳まで、家のことは母親に任せきりで、家事も家計もわからなかった高蔵さんだが、これまでの約5年で目覚ましい成長を遂げてきた。

 

「最初の1〜2年は、見えない、わからないものと向き合うグレーな期間が続き、精神的にも肉体的にも疲弊しました。しかし、介護は自分の生き方を見直すきっかけになりました」

 

たられば言っても仕方がないことはわかっていても、「母が認知症でなければ……」と思ってしまうこともあったと言う。だが今は、「介護は半分仕事のような気持ちでしている」と話す。

 

「できないことも増えてきていますが、忘れてしまうことをそれほどマイナスに考えず、『私がいるんだから、お母さんは別に忘れても困らないでしょ』と母にはよく言っています。それでも落ちこむことはありますが、自分で自分に『私は今できることの最善を尽くしている!』って自分を励ましています。だから、友だちと会うことがあっても、私はほぼ母の介護の話はしません。聞く方もしんどいかなと思いますし、わざわざ母の介護の話をしなくても、ガス抜きはできているかなと思っています」

 

どうしようもなくなった時は、1人でカフェに行ったり、ドラマを見たり、早く寝てしまったりするなどの気分転換をしている。ブログを書いて気持ちを整理することもある。

 

「幸いにも大きな病気も早めに見つかり、母の命は助かっています。時々とんでもなくボケたことを言いますが、家で吉本新喜劇が繰り広げられていると思うようになり、介護を始めた当初ほど、苦しむことはなくなりました。手を焼くことも多いですが、もともと愛情深く、優しい母なので、私が1人で看れるうちは、在宅介護をするつもりでいます」

 

84歳になった母親は、昨年の夏くらいから、時々高蔵さんのことさえわからない時があり、「娘はどこ?」と言ったり、仕事から帰ってくると、「なんでここに帰ってきたの?」と言うように。要介護認定は、更新時に3になった。要介護3であれば、特養に入所できる。高蔵さんの場合は世帯分離しており、母親は非課税なので、費用も低いはず。認知症でも特養に入ることは可能だ。

 

筆者は、介護は介護者と被介護者の「納得のプロセス」が重要だと考える。42歳まで母親に甘えてきた恩返しもあるかもしれないが、もう十分返せたのではないだろうか。母親が高蔵さんのことを完全にわからなくなった時が、一つの区切りかもしれない。

 

 

旦木 瑞穂

ノンフィクションライター/グラフィックデザイナー