(※画像はイメージです/PIXTA)
父親に、認められたかっただけなのに…
保護されたという母親の行方はわからないままです。警察に出向きましたが、高齢者虐待防止法という法律について冷たく説明されます。一般的には施設で保護をされていると聞いたため、地域包括支援センターに赴いても「答えられない」と、まるで汚いものでもみるかのように門前払いです。Mさんは興奮してそこでも大声を出してしまいました。集まってきた男性職員たちから次は警察を呼ぶぞと、きつく叱責される有様です。
弁護士から通達された日時までに自宅を退去しなければなりません。とはいえ、Mさんの荷物はさほど多くないのです。わずかな衣類と身の回り品、パソコン、通帳などをバッグに入れ、高級SUVに積み込んで家を出ました。
悲しいという感情すらもう失っていました。
母親は世田谷の家を売り、残った預貯金と合わせて自分の介護施設の費用に充て、亡くなったあとに自分にも遺産として残してくれるつもりなのではないか……。そう甘い期待が頭をよぎりましたが、すぐに気が付きました。Mさんは若いころに生命保険会社で営業をしていたのです。
母親がもし自分の兄弟や甥、姪などを受取人にした生命保険に預貯金を入れてしまえば、息子の自分には一切の相続財産も残さないということになる。自分が生前に使うお金は施設の費用と生活費に充て、残りは生命保険に入れてしまえば、本当に息子の自分は排除されるわけだ……。弁護士がそうアドバイスするのかもしれない。
家を追い出されたMさんの所持金は、25万円ほど。これからどこでどうやって暮らせばいいのだろうと、遠い気持ちになりました。高級SUVももうずいぶんと古く、売却しようにも以前の査定は2万円でした。半年前に母親に無心したお金で車検を取ったので、あと少しは乗っていられます。この車で寝泊まりするしかありませんが、都心からは遠く離れたところに行くしかありません。それも警察沙汰になる可能性があります。
携帯電話料金は母親の口座からの引き落としですが、あの弁護士がもしかしたら支払いを止めてしまうかもしれません。携帯電話はあと1ヵ月も使えない可能性があります。そうなると、生活保護の申請をするしかないでしょう。しかし、正直なところ、Mさんのプライドが許しません。
母親に電話で懇願すれば、もしかしたら、自分を許してくれるかもしれないと思いました。以前のようにまたお金をくれて、家に戻ってもいいといってくれるのではないか――。淡い期待を持って母親に電話したところ、すでに解約したようでした。
「もうなにもかも、手遅れだ。すべて就職氷河期のせいなんだ。あのとき、まともな会社に就職できなかったせいで、オレは中年になってもこんな目に遭うんだ」そう独り言をつぶやいてみても、もう誰も聞いてくれる人はいません。
「きっと、オレは父親に認めてもらいたかったんだ」
Mさんはそう思っています。勤勉で、真面目で、人望の厚い成功したビジネスマン。そんな父親に憧れつつも、時代も、自分の能力も父親に近づくことを許してくれなかったんだと。父親の存在がいつしか重圧になり、経営コンサルタントという無理な起業をしては遺産を使い込んでしまった。
あと10年もすればMさんは老齢年金を受け取れる年齢です。これから非正規であっても少しの固定給を得られる仕事を続けていけば、絶望するような人生ではないはずです。そんな当たり前のことも、Mさんの心の底にある劣等感が許してくれることはないのかもしれません。
長岡理知
長岡FP事務所
代表