(※写真はイメージです/PIXTA)
平穏な日々に訪れた2つの災難
年金生活が始まって1年が経った頃、妻の良子さんが、たびたび眩暈や倦怠感を訴えるようになりました。「年のせいかしら」と笑っていた良子さんですが、症状は次第に悪化していきます。心配した誠一さんが付き添い、大学病院で精密検査を受けると、医師から治療が難しい自己免疫疾患系の難病だと告げられました。
医師の話では、完治は難しいものの、進行を抑制し症状を緩和させる効果が期待できる治療法があるといいます。しかしそれは保険適用外の治療で、月々30万円以上の費用がかかるとのことでした。
高額な費用に、誠一さんは一瞬言葉を失いました。しかし、迷いはありませんでした。気丈に振る舞い、不安がる良子さんを「大丈夫だ。お金のことは心配するな。そのために今まで頑張ってきたんだから」と力強く励ましました。
治療を開始すると、良子さんの症状は一進一退を繰り返しながらも、改善の方向へと向かっていきました。その一方で、貯蓄は着実に減り続けていきます。通帳に記帳するたびに数百万円単位で減っていく数字を目の当たりにし、「このままでは、あと何年もつだろうか……」という恐怖が誠一さんの胸に広がりました。
そんなとき、旧友から「公務員退職者向けの資産運用セミナーがあるんだが、一緒にどうだ?」と誘われました。普段の誠一さんなら「怪しい」と一蹴したはずです。しかし、将来への不安からその誘いに乗ってしまいました。セミナー会場では「独自のAIが市場を分析し、海外の優良不動産に投資する」「元本は保証され、年利10%の配当が期待できる」といった甘い言葉が並びます。周りの参加者が熱心に質問し、次々と契約していく姿に、誠一さんの心は大きく揺らぎました。
(1,000万円を投資すれば、年間100万円。月々8万円以上の収入増だ。これなら治療費の足しになるじゃないか)
冷静さを失っていた誠一さんは、退職金から1,000万円を投資する契約書にサインしてしまいました。最初の配当金が振り込まれるはずの3ヵ月後、誠一さんは期待を胸に銀行へ向かいましたが、通帳に記帳されたのは公共料金の引き落とし履歴だけでした。「何かの間違いだろう」。そう思い、セミナーの運営会社に電話をかけると、「おかけになった電話番号は、現在使われておりません」という無機質な音声が流れるだけです。紹介者の旧友も「騙された!」と騒いでいました。
ここで初めて、自分が巧妙な詐欺に遭ったのだと悟った誠一さん。頭が真っ白になり、その場に崩れ落ちそうになるのを必死でこらえました。「値上がり確実」「絶対に損はしない」「元本は保証する」などと勧誘し、手持ちのお金を増やしたいという射幸心につけ込むのが利殖商法の手口です。まさに、誠一さんが陥ったケース。警察庁によると、利殖勧誘事犯の検挙事件数は、令和6年(2024年)で49件です。これは氷山の一角にすぎず、検挙されたとしても被害金が戻ってくる可能性は低いとされています。
「もう、終わりだ……」
妻を救いたい一心で打った起死回生の一手は、残された老後資金のほぼ半分を失う、最悪の一手となってしまいました。その後、鈴木さん夫婦の現状は子どもたちも知るところとなり、現在は家族全員で良子さんの治療を支えているといいます。
[参考資料]
内閣官房『退職手当の支給状況』
総務省統計局『家計調査報告(家計収支編)2024年平均』
警察庁『令和6年における生活経済事犯の検挙状況等について』