キャリアを経て迎えた充実の退職。多くの人が思い描く第二の人生において、経済的な余裕だけで満たされるわけではありません。生活環境や家族関係の変化とどう向き合うか……クリアしなければならない問題はさまざまです。
こんなはずじゃなかった…〈退職金5,000万円〉〈貯金8,000万円〉役員の椅子を捨てた60歳男性の転落。幸せな老後のはずが家族離散、1人でインスタントラーメンをすする寂しい夜 (※写真はイメージです/PIXTA)

夢のセカンドライフが始まるも「これが理想だったのか?」

実家に戻った徹さんは、早速リノベーションに取り掛かりました。キッチンの壁を塗り直し、古い畳を剥がし、フローリングを張る……すべて自分でこなします。

 

「これぞ男の隠れ家ってやつだな」

 

当初は心も踊りました。しかし、暮らしは想像以上に厳しいものでした。日曜大工は得意でしたが、料理、洗濯、掃夢のセカンドライフスタートも「これが理想だったのか?」除……家事はどれも経験がなかったのです。仕事人間、家のことはすべて佳子さんまかせ。男たるもの台所に立つなんてもってのほか。そんな古い考えを持っていたことも理由のひとつです。

 

スーパーまでは車で15分ほど。買い出し自体には苦労はありませんが、何を買えばいいのかチンプンカンプン。最初は見よう見まねで自炊を試みましたが、包丁を持つ手が危なっかしいうえ、焦がしたり、生煮えだったり。すぐに「手軽さ」を優先するようになりました。今では、夕食はカップラーメンや、スーパーのお弁当に、健康のためにと買うカット野菜を添えるのが定番に。

 

「なんのためにここに来たんだろう」

 

夜、湯気の立つインスタントラーメンの前で、徹さんは何度もそうつぶやきました。

 

ふと、スマホに目をやると、佳子さんが東京で開いたハンドメイド教室の様子がSNSに投稿されていました。たくさんの生徒に囲まれて、笑顔を浮かべる妻の姿に、少し寂しさを覚えます。「自分がいなくても幸せそうだ」と。

 

内閣府『令和5年度高齢社会対策総合調査(高齢者の住宅と生活環境に関する調査)』によると、高齢期、 住まいや地域の環境について重視することのトップは「医療や介護サービスなどが受けやすいこと」(男性57.4%、女性65.0%)。「駅や商店街が近く、移動や買い物が便利にできること」、「手すりが取り付けてある、床の段差が取り除かれているなど、 高齢者向けに設計されていること」が続き、「豊かな自然に囲まれていること、または静かであること」は、男女ともに3割程度。生活の利便性や安心・安全を求める人のほうが多数派といえそうです。

 

夢見た田舎暮らしを実現し、自由を手に入れましたが、その代償として家族は離散状態。妻とは連絡はとっているものの、生活の時間軸がズレてしまったのか話すことはほとんどなく、ラインのやり取りのみ。東京で働く長男と次男とは、ほとんど連絡はありません。非日常の世界にいる父親のことなど、構っていられないのでしょう。しかし、SNSから垣間見ることができるのは、父親がいなくても幸せそうな姿(いや、父親がいないから幸せなのか……)。そんな状況に、何とも言えない寂しさ、孤独感にたびたび襲われます。

 

カップラーメンを寂しくすすりながら、「こんなはずじゃなかった」とつぶやきます。

 

[参考資料]

厚生労働省『人口動態調査』

内閣府『令和5年度高齢社会対策総合調査(高齢者の住宅と生活環境に関する調査)』