(※写真はイメージです/PIXTA)
そんなに甘くないぞ…兄の言葉で知った厳しい現実
60歳の定年で会社を辞める決意をした林田さん。その決意を後押ししたのは、無収入の期間を乗り切れるだけの貯蓄があったからです。意向は会社にも伝え、「残り半年、頑張って働きます!」と宣言し、サラリーマン人生のラストスパートに入りました。
定年退職を3ヵ月後に控えたある週末、林田さんは久しぶりに兄・健一さんと顔を合わせました。健一さんはすでに67歳。年金を受け取りながら、悠々自適の隠居生活を送っているとばかり思っていました。
「哲也ももうすぐ定年か。長い間ご苦労さんだったな」
「ああ、やっとだよ。仕事を辞めて、これからはのんびりさせてもらうさ」
和やかな会話が続くなか、兄・健一さんが「それにしても――」と憤りを露わにしました。
「年金から色々引かれるだろ。あれ、どうにかなんないかね。ただでさえ少ない年金がもっと少なくなる」
健一さんの愚痴を聞きながら、ふとある言葉に引っ掛かりました。
(年金から色々引かれる……とは?)
どういう意味か健一さんに尋ねると、健一さんは呆れたように言います。
「おいおい、年金から税金やら保険料やら引かれるだろ。あれが結構高いんだよ」
(税金? 保険料?)
「だいたい、額面の85〜90%くらいだといわれているな。年金しか収入がないなか、大きいんだ、これが」
これは林田さんの計画の根幹を揺るがすには十分すぎる衝撃でした。年金から「色々引かれる」。その事実を、林田さんはこれまでまったく想定していませんでした。ねんきん定期便に書かれた金額が、そのまま自分の銀行口座に振り込まれるものだと、何の疑いもなく信じ込んでいたのです。
慌てて自宅に帰り、インターネットで「年金 手取り」と検索すると、そこには衝撃的な情報が並んでいました。年金収入からは、まず「介護保険料」が天引きされます。さらに、健康保険についても、会社員時代の健康保険組合から抜けるため、多くの場合は「国民健康保険」に加入し、その保険料を支払う必要があります(※75歳以上は後期高齢者医療保険料)。これらの社会保険料は、前年の所得、つまり年金額に応じて算出されるため、決して無視できる金額ではありません。
追い打ちをかけるように、年金は「雑所得」として課税対象となり、「所得税」および「住民税」も差し引かれるのです。もちろん、所得税には「公的年金等控除」という制度があり、一定額までは税金がかからないよう配慮されていますが、林田さんのケースでは、課税対象となる可能性が高いことがわかりました。
一体、月16万円の年金から、いくら引かれてしまうのか。自治体のウェブサイトなどで公開されている概算の計算式に自分の状況を当てはめてみると、社会保険料と税金を合わせ、2.5万円程度が引かれる可能性が浮かび上がってきました。
月2.5万円、1年で30万円、5年で150万円、10年で300万円、20年で600万円……目の前が真っ暗になるのを感じました。
「こんな大切なことを知らずにいたなんて。愚かすぎる……」
林田さんは、リビングの椅子に深く沈み込み、力なくつぶやきました。緻密に練り上げたはずの老後計画が、音を立てて崩れていくのを感じました。貯蓄を取り崩すペースは想定よりも早まり、65歳以降の生活も、当初描いていたような穏やかなものにはならないでしょう。
このままではいけない。60歳で仕事を辞めるわけにはいかない。次の出社のタイミングで、林田さんは上司に「定年退職の件ですが、一度考え直させていただけないでしょうか」と頭を下げていました。幸い人事からは、「条件は変わるものの、引き続き、ぜひ働いてください」という返事。まさに滑り込みセーフでした。
「まだまだ働くしかないか……」
再び、綿密なシミュレーションをした林田さん。とりあえず、年金が受け取れるようになる年齢までは働く覚悟を決めたといいます。
[参考資料]
日本年金機構『大切なお知らせ、「ねんきん定期便」をお届けしています』
総務省『家計調査 家計収支編(2024年平均)』