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定年退職金も父の借金の返済に消えた
ついに定年を迎えた聖子さん。勤めている会社で再雇用となり、引き続き、経理部で勤務します。しかし給与は3割減となります。正社員から契約社員へと、雇用形態が変わるからです。
定年とともに手にした退職金は700万円ほどでした。大企業で勤め上げた場合と比べると少ないですが、それでも給付されるだけましか――。しかし、退職金はすべて借金の返済に回します。これで父が作った借金は完済になります。
「普通であれば、定年を迎えた祝いに、少しは贅沢するもんなのでしょうが――」
思わずため息が出ます。
そして、ある日、仕事帰りの聖子さんは銀行のATMに立ち寄りました。忙しく、もう半年以上も記帳していなかったのです。しかし、印字された数字をみて、血の気が引くのを感じました。
「おかしい、絶対におかしい……」
思わず声が漏れます。定年前は月収35万円、ボーナスも年に2回支給されてきました。退職金だって出た。自分のためにお金を使った記憶もない。しかし手元にあるお金は100万円もありません。支出の大部分が父の借金と母のためだった事実を改めて突き付けられ、絶望感を覚えたのです。
金融広報中央委員会『家計の金融行動に関する世論調査(令和5年)』によると、50代単身者の38.3%が金融資産を保有していません。また金融資産を保有している場合では、平均貯蓄額は2,288万円、中央値は555万円です。金融資産を保有していても心許ない程度の貯蓄しかない単身50代が多い現状ではありますが、それ以上に聖子さんは貯蓄がなく、老後を悲観せざるを得ません。「老後2,000万円不足問題」が声高に叫ばれて久しいですが、聖子さんにとっては、2,000万円どころか、目先の数百万円すら覚束ないのです。
もし、自分が病気になったら?
母の介護が深刻になったら?
給料が3割下がったなか、母と自分の二人分の生活と将来をどうしたらいいのか。考えれば考えるほど、目の前が真っ暗になります。母・牧子さんが悪いわけではないことは分かっています。むしろ、娘に負担をかけていることを申し訳なく思っていることでしょう。だからこそ、聖子さんは母を責めることができません。しかし、やり場のない怒りや虚しさが、聖子さんの心を支配していきます。
自分の人生を犠牲にして、父の尻ぬぐいをし、母を支えてきた。その選択は、本当に正しかったのだろうか?
親孝行という言葉の裏で、自分の未来を諦めただけだったのではないか?
帰宅し、いつものように誰もいない部屋に向かって「ただいま」といいます。もちろん、「おかえり」と返ってくるわけがありません。休日に多めに炊き、冷凍しておいたご飯を電子レンジで温めます。その様子をぼーっと見ていると、不意に涙が出てきました。
「私の人生、一体何だったんだろう……」
言葉と共に涙が止まらなくなってしまったといいます。
[参考資料]
厚生労働省『令和6年賃金構造基本統計調査』
内閣府『令和7年版高齢社会白書』
金融広報中央委員会『家計の金融行動に関する世論調査(令和5年)』