「仕事か、父の介護か」…限界を迎えた46歳の選択
原田真理子さん(46歳・仮名)。母は10年前に亡くなり、兄弟姉妹もいません。父・原田耕作さん(77歳・仮名)は、家事はまったくできず、家のことはすべて母任せでした。「とても父をひとりになんてさせられない」と、真理子さんは母を亡くしたあと、実家に戻ってきたのです。
真理子さんは就職して以来、仕事を優先してきました。会社で実力が認められ、同期のなかで初めて管理職に抜擢され、誰からも一目置かれる存在でした。
「会社としても女性の管理職を増やしたかっただけですよ」
謙遜する真理子さんですが、2年前、耕作さんが脳梗塞で倒れてからは状況が一変します。一命は取り留めたものの右半身に麻痺が残り、要介護3の判定。入院とリハビリテーションを経て在宅介護に切り替えました。歩行はできませんが、車椅子を使えばひとりでの移動が可能です。ただ車椅子に乗る際には見守りが必要です。
排せつ面では、耕作さんはズボンや紙パンツをお尻の半分までしか引き上げられないので、トイレのたびに付き添いが必要です。介護サービスは、平日の日中は訪問介護、入浴目的で週に3回デイサービスを利用し、月に1回はショートステイも使っていました。
耕作さんの年金の受給額は約15万円。真理子さんも月収45万円ほどあったので、当初、経済的な懸念はありませんでした。それ以上に負担だったのは介護そのもの。平日はヘルパーが来ているとはいえ、朝晩は真理子さんが全面的に耕作さんの面倒をみています。そして休みの日は付きっきり。本来であれば十分な休息を取りたいところですが、耕作さんの介護のため、疲れを残したまま平日を迎える……そんな日々が続きました。
そのうち、仕事と介護の両立が難しくなり、降格を願い出ます。入社以来、仕事を第一に頑張ってきた結果、手に入れたポジションを、親の介護を理由に諦めたのです。さらに時短勤務を申し出た結果、月収は28万円と大きくダウン。それでも「仕方がない、みんなに迷惑をかけるわけにはいかない――」と納得したつもりでいました。しかし……「最初は『親だから』と受け止めていたんです。でも気づけば、食事中に涙が出て止まらなくなって……号泣していたんです、私」。