博士は高度な知の象徴であり、過去には子供が「大人になったらなりたいもの」で実に28回もランクイン(10位以内)してきました。しかし、博士を目指す人は2003年から2022年にかけて減少傾向にあります。知の象徴であるにもかかわらず、なぜ博士課程への進学者が減少しているのでしょうか。本稿では、ニッセイ基礎研究所の河岸秀叔氏が、博士課程の実態について詳しく解説します。
なぜ博士課程への進学者が減少してきたのか-注目したい民間就職の動向- (写真はイメージです/PIXTA)

博士課程への進学に影響する要素

経済状況

在学中の経済状況や将来のキャリアパスの不透明さは、学生が進学を躊躇する主要な要因といえる(図表3)。

 

出所:文部科学省「修士課程在籍者を起点とした追跡調査」(2021年)よりニッセイ基礎研究所作成
[図表3]修士学生の就職理由 出所:文部科学省「修士課程在籍者を起点とした追跡調査」(2021年)よりニッセイ基礎研究所作成

 

実際、博士課程の学生の経済状況は必ずしも十分なものではない。

 

博士課程の学生の学費と生活費を合わせた年間平均支出は223万円である2。一方、学費免除(全額・一部)や日本学術振興会特別研究員などの金銭的支援の採用率は限定的な部分がある。たとえば、2021年時点で博士課程に在籍した学生(除く社会人・留学生)の約4割は給付額が60万円未満であった3。こうした差額は、家庭からの給付やアルバイト、奨学金などで補う必要がある。

 

ただ、学部生・修士課程に比べて、博士課程の学生に対する家庭からの金銭的支援は縮小する傾向にあり、年間平均給付額は学部生の2割ほど(約25万円)である4。このため、生活費や学費をアルバイトや奨学金で自ら工面する学生も多い。実際、学生の約半数は、アルバイトに従事かつ家庭からの給付では修学が困難(または給付なし)と回答する。また、2020年時点で社会人・留学生を除く学生の35.2%は、修了時の借入金が300万円5を超えていた。こうした、経済的な厳しさが、修士学生を博士課程から遠ざけてきた。

 

こうした状況に対し、国は支援に取り組む。第6期科学技術・イノベーション基本計画に基づき、2025年度までに全在学者の約3割に当たる約2万2,500人に生活費相当(180万円以上)の経済的支援を行うことを目指す。実際、2021年度からは科学技術振興機構による学生支援が実施され、約2万400人が生活費相当の支援を受給している(2024年度時点)6。こうした支援もあり、2023・24年度は進学者が増加している(図表1)。

 

常勤ポストに対する供給過剰という問題

修了後のキャリアパスが不透明という課題もある。学部・修士課程に比べて、博士課程の有期雇用労働率は非常に高い(図表4)。

 

出所:文部科学省「令和6年度学校基本調査」よりニッセイ基礎研究所作成
[図表4]各課程終了後の進路 出所:文部科学省「令和6年度学校基本調査」よりニッセイ基礎研究所作成

 

また別の調査によれば、修了6年半後の有期雇用率は17.5%であり、正規雇用への転換も限定的と考えられる7

 

博士の不透明なキャリアパスは、修了者の数に対して、主要な就職先である大学や企業からの需要が限定的であることが大きな要因である。

 

博士の数は、教員不足や基礎研究拡充のための大学院生の増加政策(大学院重点化)を受け、1990年代に大幅に増加した。1990年代中盤には修了者数が大学教員数を上回り、ポストドクター(以下ポスドク)として職に就く学生も増加した(図表5)。

 

出所:文部科学省「学校基本調査」、「学校教員統計調査」よりニッセイ基礎研究所作成
[図表5]博士課程修了者と大学教員採用者数 出所:文部科学省「学校基本調査」、「学校教員統計調査」よりニッセイ基礎研究所作成

 

ポスドクとは常勤ポストに就く前に経験を積むための任期付きの職務だ。

 

政府の想定では、ポスドクは長くても3年程度で常勤ポストを見つけることができると考えられていた8。しかし、現実にはそうならない。博士・ポスドクが増加した反面、少子化や2004年の大学法人化を受けた運営交付金減額9により常勤ポストは減少した。

 

この結果、博士・ポスドクの供給過剰は解消せず、多くの若手研究者が安定的な常勤ポストに就きにくくなった。実際、40歳以下の若手教員が常勤ポストに就く割合は減少しており、また若手研究者が任期付きのポスドクや助教の仕事を渡り歩くケースも珍しくない10

 

民間企業への就職も狭き門

民間就職という進路も十分に浸透しなかった。1990年代以降、政府は企業に博士・ポスドクの採用を呼び掛けた。たとえば、2001年の第2期科学技術基本計画では、「民間においても、博士課程修了者やポストドクター経験等のある若手研究者の採用に積極的に取り組むことが期待される」と記されている。また、2009年にはポスドクを採用した企業に500万円の持参金を払う高度研究人材活用促進事業も実施された。

 

しかし、2022年時点でも、博士やポスドクが企業に就職するケースは多くない。たとえば、博士課程の修了後に企業に就職した割合は、理工で約4割、その他の分野で約2割前後である11。また、2021年時点でポスドクであり、翌年職種を変更した者のうち、企業へ就職した者は約8%に留まる12

 

また、企業側の採用意欲も高いとはいえない。経団連によれば、2022年度採用のうち、全体の23.7%、非製造業の40.0%は博士の採用が0人であった。また、2022年時点で、研究開発者として新卒学部生・修士を採用した企業がそれぞれ22.3%、30.9%であるのに対し、新卒博士で5.8%、ポスドクでは1.0%に留まる13。理工系の一部を除き、民間企業への就職という進路は限定的だ。

 

2 日本学生支援機構. 令和4年度学生生活基本調査報告.2024-11-15
3 文部科学省. 博士(後期)課程学生の経済的支援状況に関する調査研究. 2023-05
4 注記のない限り、本段落の出典は以下 日本学生支援機構.令和4年度学生生活調査結果. 2024-11-15
5 学部・修士課程在学時の借入金を含んだ通算額。文部科学省 科学技術・学術政策研究所.博士人材追跡調査 第4次報告書. 2022-01-25
6 従来支援(特別研究員、大学や民間団体の給付型奨学金、国費留学生への奨学金等)により年180万円以上を受給する約8,600人を含む
文部科学省.博士後期課程学生支援に関する参考資料.科学技術・学術審議会 人材委員会 次世代人材育成WG(第3回).2025-06-05
経済同友会.提言「科学技術人材立国として再興するために」~活・博士人材.総合科学技術イノベーション会議基本計画専門調査会(第6回).2025-05-22
7 文部科学省 科学技術・学術政策研究所.博士人材追跡調査 第3次報告書.2020-11-27
8 榎木英介.2010. 博士漂流時代 「余った博士」はどうなるか? . 東京;ディスカバー・トゥエンディーワン. 2010
9 運営交付金とは、国立大学の運営費として国庫より措置される資金である。大学の基盤的な収入であり、常勤ポストへの人件費などに使用される。大学法人化の前後から、国は選択と集中と呼ばれる競争政策を導入し、運営交付金の減額と応募・審査により獲得する競争的資金の重厚化を図った。競争的資金は短期のプロジェクトなどに活用され、常勤ポストではなく短期の任期付きポストを増やすことに繋がったことを文部科学省は指摘する。
文部科学省 高等教育局.財政制度審議会財政制度分科会資料についての文部科学省の見解.2016
10 文部科学省 科学技術・学術政策研究所.研究大学における教員の雇用状況に関する調査.2021-03-26
11 文部科学省 科学技術・学術政策研究所.博士人材追跡調査.第4次報告書.2022-01-25
12 文部科学省 科学技術・学術政策研究所.ポストドクター等の雇用・進路に関する調査(2021年度実績).2024-03-22
13 文部科学省 科学技術・学術政策研究所.企業の研究活動に関する調査報告2023.2024-06-2