昨今、初任給が30万円超えという驚きのニュースが聞こえてくる一方、1993年から2005年ごろまでに就職活動を経験した「氷河期世代」の多くは、社会からの冷遇に苦しんでいます。ただし当然ですが、氷河期世代のなかにも“順風満帆の人生”を送っている人はいるようで……ルポライター増田明利氏の著書『今日、50歳になった 悩み多き13人の中年たち、人生について本音を語る』(彩図社)より、50代の“生の声”を紹介します。
早稲田大学に“補欠合格”→〈就職氷河期〉直撃も内定獲得→スピード出世で部長昇格だが…「自分は小市民」と自嘲する年収750万円・52歳サラリーマン“順風満帆な人生”の理由【ルポ】
東日本大震災の前日まで東北に…船尾さん人生最大の“つき”
結婚したのは03年、31歳のとき。
「結婚して約2年は国分寺市の賃貸マンションに入っていたのですが、あまり便利なところではなくてね。買い物や医療機関は23区内の方が断然便利だし、中央線はしょっちゅう人身事故で停まる。そしたら代替の交通機関がない。やっぱり区部に戻ろうと思いました」
一等地でも家賃が格安な都営住宅に入れればと思い、募集があるたびに応募して6回目で当選。10年以上も応募しても当選しない人もいるというからこれもついていた。
当選したのは北区王子の団地。築20年だったがエレベーターはあるし、2DKで家賃は4万4000円ほど。国分寺のマンションの家賃は7万5000円だったから3万円も安い。大助かりだった。
「京浜東北線に乗れば東京駅まで25分程度。田端駅で山手線に乗り換えれば池袋、新宿、渋谷にも行ける。買い物も便利で物価も安くて暮らしやすかったですね」
これまででもっとも運がいいと思ったのは東日本大震災のとき。
「実は震災直前の3月9日、10日は仙台に出張していたんです。10日の夕方6時頃の新幹線で戻ってきたのですが、出張の日程が一日後ろにずれていたら大混乱に巻き込まれていた。仙台市内も震度6弱や6強だった地域があったそうだからどうなっていたか……。被災した人たちには申し訳ないけど難を逃れられて良かったと思う」
後になって報道で仙台駅周辺の建物でも倒壊・半壊したものがある。仙台駅構内は天井板や電子掲示板が落下して怪我をした人がいた。市内の死者は900人以上など被害の深刻さを知らされると一日早く帰れたのは運が良かったと思った。
「地震が起きたときは会社におりまして、デスクの書類や事務用品が散乱したりパソコンが飛んだりしたけど大事はなかった。自宅も大きな被害はなく、妻も子どもたちも無事だった。交通機関がほぼ全面ストップだったので会社に留まるしかなかったのですが、社内には非常用の食料や飲料水、毛布などがあったので翌日まで持ち堪えられました」