両親の借金5,000万円を返済するため、父に頼まれて17歳でマグロ漁船員となった筆者。数回の航海を経て技術と自信をつけていた筆者は、親戚のおじから「息子と一緒に2度目の遠洋マグロ漁に出てほしい」とお願いされ、渋々承諾します。菊地誠壱氏の著書『借金を返すためにマグロ漁船に乗っていました』(彩図社)より、実際にあった「遠洋マグロ漁船」の恐ろしすぎる日常と、その引き換えに受け取れる給与額を紹介します。
親の借金5,000万円返済のため…親友と「遠洋マグロ漁船」に乗った17歳“ヤンチャ少年”、怒号と暴力だらけの環境で10ヵ月→受け取った〈驚きの給与額〉【実体験】
暴力に雑用…1年生のトシを襲ったボースンのいじめ
水産高校を卒業したばかりのトシは、1年生としてこの船に乗りました。
当然仕事ができないどころか、船員としての生活のルールもわからないので、船員たちからは案の定いじめられていました。これが1年生で一番つらいことです。
トシはある日、ボースン※から怒鳴られていました。ボースンは身長が高くて目が細く、真っ黒に日焼けした人です。よくどもるので、何を言っているかわからないこともありました。
※…甲板長はボースンと呼ばれ、船の甲板の上でのさまざまなことを取り仕切るマネージャーのような役職。船の中ではナンバー2のポジション。
早朝、スタンバイのベルが鳴ったので揚げ縄をするためにみんなでオモテに行ったら、ボースンが操業のときに軍手の下につけるゴム手袋でトシの顔面をひっぱたいていました。
「オメー、10年はえーんだよ!」
バチーンバチーン! 思いっきりビンタしていましたが、みんなが来たのでボースンは手を止めました。屈辱的ですね。
後でトシに「何したの?」と聞いてみたら、「なんか急にキレられた」と言っていました。それに腹を立てた私は、ボースンがハンドルをしているときに、船のハンドルの横の壁を思いっきり蹴りました。そしてボースンにメンチを切りました。来るなら来いよ! やってやるぜ! という挑発的な視線を送りました。ボースンもトシの件で来たと明らかにわかっていたでしょう。ボースンも声を荒らげました。
「なんだこの!」
「あ? なんだよオラ!」
ボースンはニヤッと笑うと目を逸らしました。
ボースンが私に対して口答えすることはありませんでした。私もこのときはそれなりに仕事ができていましたし、冷凍助手というポジションを与えられてもいたので、ボースンも容易に口を出せなかったのでしょう。私も「もし何か言ってきたら喧嘩してやろう」と思っていました。
また、ボースンは休みの日の朝にトシを起こして、浮き球に掛ける網を編むなどの雑用をさせ、弟子のようにこき使っていました。マグロ漁船は休みだけが楽しみですから、休みくらい休ませてやれよと思っていました。しかもトシは1年生で慣れない環境で疲れているはずなのに、無理やりこんなことをさせられて可哀想だなと思っていました。