就職氷河期のさなか、大宮さん(仮名・44歳)が入った会社は業界中位の「消費者金融」。約17年勤めた大宮さんがそこで目にしたのは“日本の暗部”でした……。ルポライターである増田明利氏の著書『今日、借金を背負った 借金で人生が狂った11人の物語』(彩図社)より、「お金を貸す側」の本音をみていきましょう。

お金を貸す価値のない人間はいます…業界歴17年、就職氷河期を経験した44歳“元・金融マン”が語る「消費者金融」が“あえて高金利”なワケ【ルポ】
消費者金融に17年勤務…「お金を貸す側」のホンネ
大宮政志(44歳)
出身地/東京都江戸川区
現住所/千葉県船橋市
在職時の収入/最高時で年収470万円
略歴/98年に大学を卒業。主に都内と千葉県、神奈川県の一部を営業基盤とする消費者金融会社に就職。個人客を対象にした小額融資、回収などを担当する。先輩、同期、後輩が数年、早ければ3~4ヵ月で退職するという環境だったが仕事を続け、都内の支店の副店長まで昇進した。
しかし、世間の消費者金融に対する批判や融資の総量規制、過払い金返還訴訟の多発などの逆風を受け会社の業績が急降下。支店の閉鎖、業務の縮小などがあり、自ら見切りをつけて退職。現在は貨物運送会社で働いている。
金融屋は「貧乏人相手」の商売
「もう辞めて丸4年になりますが、17年間近く消費者金融で働いていました。はっきり言ってしまうと嫌な仕事だったけど、世の中の裏側とか汚い部分は随分と目の当たりにしました。社会勉強にはなりましたね」
大宮さんは大学新卒で当時業界中位クラスの消費者金融に就職。都内の支店で副店長まで昇進したという経歴の持ち主。現在はまったく別の仕事に就いているという。
「自分は就職氷河期世代なんですが、大学が新設私大なもので就職活動は困難を極めました。60社以上の採用試験、面接を受けた中で唯一採用してくれたのが消費者金融のH社だったわけです。内心では気乗りしませんでしたが」
入社後最初に配属されたのは都内下町地区の支店。その後は2~3年で都内の各支店を異動した。
「消費者金融が支店を構えるのは富裕層やセレブの皆様がお住まいになっているところではありません。最初の配属先も都営団地や小さな個人商店、町工場などがあるしょぼくれたところでしたよ。その後は歓楽街や風俗店が軒を並べているところだったり、所得水準が低く、生活保護や就学支援を受けている人が多い場所。はっきり言えば金融屋は貧乏人を相手に商売しているわけなんです」