無理して私大に入らなければ…野坂さんの“拭えぬ後悔”

新しい仕事が見つかったのは18年の8月。多少のブラック加減は仕方ないと割り切って何とか採用してもらったのがWeb制作を請け負っている零細企業。

「水商売とか風俗関係のホームページやネット専用の広告を作っているところです。キャバクラ、フィリピンパブ、ガールズバー、パチンコ屋、居酒屋、派遣型風俗業の広告や求人案内を作っています。世の中にはいろいろな商売があると思う」

心配していたブラック度はそれほど高くはない。サービス残業は月20時間近くあるが土日、祝日は完全に休めるのでマシな方だと思う。

「給料は24万円、手取り20万円ぐらいですね。賞与ありとなっていたけど寸志程度らしいので想定年収は300万円に届くか微妙なところだけど贅沢を言っている場合ではありません。とにかく働いて稼いで借金を返さないと」

40歳になるまで奨学金の返済に追われるのは辛いので収入が増えれば2、3ヵ月分でも繰り上げて返済するつもりだが、ちゃんと完済できるだろうかという不安もある。

「借りるときは返済のことまでよく考えていなかった。月1万8,000円なら余裕で返せるとたかをくくっていたけどこんなに重たいとはね」

毎月1万8,000円を貯金して20年で432万円積み立てるのと、432万円の借金を毎月1万8,000円ずつ20年かけて返すのはまったく別の話。自分はこんなに借金を抱えているという精神的な負荷が大きい。

今になって強く思うのは無理して東京の私大に入る必要はなかったんじゃないのかということです。学力的には地元か隣接する地域の国公立大学は合格圏でしたしね」

東京の有名私大を卒業すれば将来の選択肢は選り取り見取りと思っていたが、実際はそれほどでもなかった。地元の国公立大学に入学していれば入学金を含めた4年間の学費は150万円近く安上がりだった。実家から通学していれば生活費も不要だった。

「地方でもアルバイトのあてはいくつかあったから奨学金は必要なかったと思う。そしたらこんなに苦しまずに済んだと思います」

2歳下の弟は地元の国立大学を卒業して地元の企業に就職。来年初めに結婚するという報告があったが、野坂さんは結婚なんて考えられる状況ではない。正直なところ失敗したと思っている。

4年間借金して何を学んだのか、何をしてきたのか。ただ、苦しんだだけではないかと考えると落ち込む。

増田 明利
ルポライター