子どものときから成績がよく、都内の上位私大に難なく合格した野坂さん(仮名)。しかし、現在の月収は約24万円(手取り20万円)、想定年収は300万円に届くかどうかというところ……そんな野坂さんは、自らの選択を「深く後悔している」といいます。いったいなにがあったのか、ルポライターである増田明利氏の著書『今日、借金を背負った 借金で人生が狂った11人の物語』(彩図社)から紹介します。

後悔しています…都内上位私大卒も「手取り月収20万円」新潟出身・板橋在住29歳サラリーマンの“悲痛な嘆き”【ルポ】
休職するも、3ヵ月で「無職」に…奨学金は「返済猶予」を申請
「ほとんど有給休暇が未消化だったので丸1ヵ月間は金銭的な問題はありませんでした」
治療に専念したものの、さしたる効果はなく休職2ヵ月目に突入。
「これで給与収入はなくなりましたね。健保組合から傷病手当が支給されたけど日給の3分の2なので1ヵ月当たりにすると14万円ほどだった」
家賃と他の固定費を払い、医療費も出すと手元に残るのは2万円もない状態。
「こんなんじゃ奨学金の返済なんてできるわけない。機構に返済猶予を申請し返済を待ってもらえるよう手続きをしました」
会社なんて冷たいもので休職3ヵ月目が終わる頃になると「いつまで休むんだ」「人手が足りなくて大変なんだよ。早く出てきてもらわないと困る」などと言ってくる。
「裏を返せば、早いとこ自発的に退職しろということなんですよ。退職すれば欠員が生じるので別の人を補充できるわけだから」
もう嫌気が差して退職。病気治療中の無職ということになった。
「退職金はちゃんと出ましたよ、30万円ぐらいだったかな」
生活のため…失業手当が出たあともアルバイト
雇用保険の失業手当も受給できるのだが、辞める前の2ヵ月は休職していたので給与収入はゼロ。それが響いて基本日額は4,700円程度。
「その上、自己都合での退職なので失業手当が出るのは90日後からなんです。振り込まれた退職金と500円玉貯金で細々と生きていました」
体調や精神状態は少し良くなってきたが、まったく眠れない日があったり、人混みの中にいると無性にイライラしたりすることもあったので更に2ヵ月間静養した。
「働かなきゃマズい、とりあえずアルバイトでもするかという気になったのは会社を辞めて半年経った頃ですね。完全に回復したわけじゃないけど、このままでは飢え死にすると思ったので」
オフィス専門の引っ越し業者が作業員募集の広告を出していたのを見つけ、面接に行ったらその場で採用してくれたそうだ。
「金曜日の夜から土曜日の朝、土曜日の夜から日曜日の朝までは完全な引っ越し作業。日給は1万円だった。平日の3日は事務所内のレイアウト変更に伴うオフィス家具などの移設作業で夜6時から10時までの4時間勤務です。こっちの時給は1,200円だった」
このアルバイトで月収14万円は確保できた。身体を使う仕事なので疲れたが、それでよく眠れたので御の字だった。
「翌月からは失業手当が出るようになったのでこのアルバイトはすぐにやめました。だけど失業手当は1ヵ月間(28日)で13万円。東京の生活保護費と同じくらいでしょ。本当はいけないのですが生活が成り立たないのでハローワークには内緒でアルバイトをやっていました。アパート近くのクリーニング屋さんで洗濯物の受け渡しを」
夕方3時間だけで火木土の週3日。時給1,000円だったがこのアルバイト代が月3万6,000円。これで何とか生活していけた。
「次の職探しもボチボチ始めまして。自分ができることと言ったらコンピュータ関係だけ。ハローワークには求人が多数あったけど下請け、下請けの下請けみたいなところばかりでブラック度も高そうでしたね」