借金返済のためマグロ漁船に乗ることになった筆者を待ち受けていたのは、「二度と乗るものか」と思うほど危険で過酷な労働環境でした。怪我もしましたが、なんとかはじめての航海を終えます。そんななか、ヤンキーの先輩からの誘いを受け、再び海に出ることに……。菊地誠壱氏の著書『借金を返すためにマグロ漁船に乗っていました』(彩図社)より、詳しくみていきましょう。
マグロ漁船なんて乗るんじゃなかった…親の借金「5,000万円」返済に挑む17歳の“ヤンチャ少年”が手にした「衝撃の給与額」【実話】
はじめての「マグロ漁」が終わり…ようやく手にした“初任給”
台風被害で両親の営んでいた事業が失敗し、5,000万円もの借金を背負った菊地家。
そんななか、筆者は高校中退を機にマグロ漁船員になることを決意します。
初めての漁は「二度と乗るものか」と思うほど過酷な仕事でした。
しかし、ヤンキーの先輩に誘われ、再び海に出ることになるのです。
仕事を覚えるのに悪戦苦闘しているうちに、1回目の航海が終わりました。
長福丸の航海を終えて初めての給料は、合計で25万円。そのうちの8分(8割)が自分のもので、残りの2割である5万円が船主預かり金として控除されます。さらに1航海で必要なものを揃えるための船員貸付金(仕込み金)などを差し引くと、最終的な手取りは15万円となります。給料は、給料明細と書いた茶封筒に入れて渡されました。
マグロ漁船での仕事を終えると、船員は分け魚といって魚を少しもらえます。一番美味い部位を切って、タダで大量に土産として分けてくれます。このときはブロック肉くらいのメカジキをもらい、家に帰って初めての給料と一緒に両親に渡しました。
お袋は「ありがとう、ご苦労さんだね」と笑って給料袋を受け取りました。
夕食には肉や刺身など豪勢な料理をお袋が振舞ってくれて、オヤジもビールを飲みながらニコニコしていました。
オヤジはこのとき食べた分け魚のメカジキが一番うまかったと言って、それからずっと思い出話のネタにしていました。
「長福丸でもらってきたメカジキの刺身はいまだに忘れらんね。あんなうめー刺身、食ったことがねえ」
私が両親に「マグロ漁船はな~、こんなに大波が来て……」「サメを殺すのが俺の仕事でさ」なんて自慢気に語っていると、オヤジは「そうかそうか。ご苦労さん、うんうん」と酒に酔って顔赤くしながら、満面の笑みで話を聞いてくれました。家に帰って手料理でもてなしてくれて、武勇伝を聞いてくれる両親に感謝していました。