ほんとうの快感は、身体性をともなう

このような皮膚感覚と脳の関係でいえば、精神的円熟には、身体的な喜びがついてまわります。つまり、身体性をともなって、精神的な喜びを感じるということが、脳の活性化にはもっともたいせつなポイントなのです。その典型的な例がセックスです。


セックスは、人間の幻想に大きく依拠していますが、同時に、人間と人間の身体の勝負ともいえましょう。相手の身体を抱き、そのにおいを嗅ぎ、手の感触で確かめ合い、皮膚と皮膚を接し、最後には粘膜を融合させながら、二つの肉体がひとつになる行為です。


セックスならずとも、手を触れ合ってお互いの体温を確かめ合い、心を通して信頼と愛を感じるだけで、私たちは無上の喜びに達することができます。これに対して、アダルトビデオなどの、視覚情報だけで性的に興奮し、オーガズムを得るマスターベーションも、前頭葉を発達させた人間にとって、たしかにセックスの一ジャンルであることはたしかでしょう。しかし、ホンモノのセックスが与えてくれる、より深く、豊かで、心からの快楽とはくらべ物になりません。


ヒトの脳は、何かの目的を達するために行動を起こして身体を動かしたり、運動したりしたときに、その働きかける対象とのかかわりのなかで、五感を通じて爽快感、達成感、解放感、郷愁などの「すばらしい」という感覚を得ます。


この「すばらしい」=「気持ちよかった」という感覚は、ふたたび身体のなかで、つぎなる行動を誘発します。つまり感覚がまた、運動を仕掛けるのです。つまり、運動→感覚→快感→運動→感覚→快感という、前頭葉と大脳辺縁系のキャッチボールが行なわれます。


こうしたキャッチボールが数かぎりなく続くうちに、それがやがて、上位の精神的な快楽につながっていきます。そして、脳はしだいに活性化していきます。同時に身体も運動によって活性化していきます。その結果、少々老化したとはいえ、その年齢相応の快感、あるいはそれ以上の快感を得るわけです。脳を円熟させるには、快感がだいじといっても、たんに心のなかで快感を叫ぶだけでなく、そこに身体的動作がついて回ることがたいせつなのです。それこそが、ほんとうに円熟した姿ではないかと思います。