健康幻想に踊らされている日本人

現代人はとくに「健康」という言葉に対して敏感になっています。ガンや脳卒中、心疾患にかからないかと多くの人がおびえ、健康にいいとされることには人々の注目が集まります。


もちろん、死ぬまで健康で、長生きできればそれに越したことはありません。その願いをかなえるべく、現代医学が進歩して、多くの病気を治してきました。昔は不治の病とされていた結核も、現代ではおそろしい病気ではありません。多くの生命を奪ってきた天然痘にいたっては、絶滅宣言すら出されました。いまや病原体の痘瘡ウイルスは、研究室の試験管のなかで厳重に〝保存〟されているのです。


医学の発展とともに、いわゆる伝染病がつぎつぎに退治されていくのを見て、私たち人間がつぎのように考えるようになったのは、すこしも不思議はないかもしれません。「いつの日か、人類はありとあらゆる病気を克服して、みんなが健康に生きられるようになるはずだ」


ガンにしても、昔はガンが出るまえに多くの人が死んでいきました。ガンが日本人の死亡原因のトップを占めるようになったのは、多くの人が長寿になったからにほかなりません。長生きすれば、ガンにかかるリスクは当然高くなるのですが、それがいっそう日本人の健康への不安に拍車をかけているのでしょう。


とにかくわが国では歴史上、これほど〝健康産業〟が発展したことはありません。エステティックやスポーツクラブの大流行。何やら得体の知れない健康食品の氾濫。二十代の若者たちはせっせと栄養サプリを常用し、スナック菓子まで「カルシウムがとれる」「ビタミンC入り」をうたったものが登場するといった具合です。


しかし、そうした「健康にいい」ものを追い求めても、それで健康になれた人がはたしてどれくらいいるのでしょうか。私にいわせれば、こうした〝健康幻想〟に振りまわされている脳は、円熟にはほど遠い未熟な脳であり、当然、円熟の楽しさも得られないでしょう。円熟について考えるとき、もちろん健康は大きな要素になってくるのですが、それには、私たちのこれまでの健康観そのものを見直してみる必要があるのです。