人間ほど快感を表現できる動物はない

ここで快感と関係の深い「笑い」についてすこしふれておきます。私たちはうれしいとき、楽しいときに、笑うのは当然と思っていますが、笑いは高度に発達した脳の複雑な働きによっておこるものなのです。


笑いの表情と深く関係しているのは、「大脳基底核」というところです。ここが冒されると、パーキンソン氏病のように、体の動きや顔の表情のバランスがくずれ、かたい動き、かたい表情になります。人間は、この脳の発達が悪いと、この基底核も未熟なままです。ですから、下等な霊長類の場合、基底核もあまり発達していないので、笑いが出ないのです。


では、キツネザルやメガネザルよりも脳が発達しているニホンザルやアカゲザル、ヒヒなどの場合はどうでしょう。これらの霊長類の脳の大きさは、まだヒトの五分の一程度にすぎません。前頭葉のなかでも、そのソフトウェア(前頭連合野)の広さは、さらに人間の十分の一程度にしかすぎません。彼らもまだ、笑いを獲得していないのです。


ニホンザルやアカゲザルは、顔の筋肉の発達がいまひとつなので、快感を得て、満たされるという素朴な心の動きがあっても、口がうまく動いてくれません。むしろ、それよりわかりやすいのは、彼らがセックスするとき、オーガズムに達したときの口の動きです。オスは口を四角に開いてギャーとひと声叫び、メスは口を丸めて「ホウ!」とひと吹きします。まあ、これは笑いというより、交感神経系の高まった一瞬の叫びのようなものでしょう。


では、それらのサルより高等な類人猿ではどうでしょう。一説には、笑い顔は人間とチンパンジーのみが作れるものであると言われています。実際、チンパンジーは口を大きく開き、口角を斜め上方に引き上げて、笑い顔を作ることができます。


チンパンジーは脳の大きさも人間の三分の一、前頭連合野の広さは、全大脳皮質の十一パーセントも占めているのですから、笑うことができるようになったのも、当然といえば当然でしょう。しかし、それでもチンパンジーの笑いは人間の笑いにはとうていかないません。彼らは目で笑うことはできませんし、クスクス笑いもできません。ほくそ笑むなどという高級な笑いは問題外です。なぜなら、目というものは、大脳新皮質系の表現器官だからです。


そのことは、大脳新皮質系の未熟な乳幼児の笑い顔によく現われています。彼らは快・不快、不安、怒りといった、ごく素朴な心しか持っていませんが、目で感情を表現せず、もっぱら口を使って感情表現します。悲しいときは大声をあげて泣き、またうれしいときも同様、口で笑います。


この口の動きを演出するのは、「大脳辺縁系」といわれているところです。本能や、快不快、怒り、恐れなどの素朴な心(情動)を生み出す源で、「動物脳」ともいわれます。イヌやサルが心の表現として吠えたり、唸ったりと、もっぱら口を使うのは大脳辺縁系によるものです。逆にいえば、彼らは口でしか“心”を表現できないわけです。


いずれにしても、チンパンジーが笑えるといっても、その笑いはきわめて単純です。人間のように、精神活動によってもたらされる深い複雑な快感によってもたらされる笑み、たとえば仏に見られるような笑みとは、彼らはまったく無縁なのです。


セックスによる快感にしても、人間ほど深い快感を味わっている動物はないといえるでしょう。チンパンジーは逆立ちしたって、人間の言葉をしゃべることはできません。厳しい学習をさせて、簡単な文字や絵を理解させることはできますが、言葉を発することはないのです。オス・メス、男・女と決めるのは言語によってですから、チンパンジーは自分をオスとかメスと認識できようはずがありません。


したがって、チンパンジーにセックスの快感があったにしても、そこにはオスとしての快感とか、メスとしての快感といったものは、まったく存在する余地がないはずです。おそらくそこにあるのは、動物的本能の充足と、小さな大脳新皮質がつくり出す、乏しい知恵の快感だけでしょう。


言葉のかもしだすユーモアなど、わかるはずがないのです。ですから、私たち人間のようなさまざまな笑いも、当然、欠如しているのです。結局、目で笑うことができるのは、脳の視覚の受け皿が大発達を遂げ、さまざまな仕組みの連絡が密になり、高等な精神と体の動きのキャッチボールが複雑化してきた私たち人間だけに許された特権なのです。


あるときは微笑み、ときには呵々大笑し、またあるときにはほくそえんだり、皮肉な笑いを浮かべたりと、じつにさまざまな笑いの種類を持っている私たち人間は、それだけ快感の種類も豊富にかかえているということなのです。