人間だけに許された、複雑で深い快感

動物もヒトも、生きていくうえで、できるかぎり不快を避け、快感を求めようとする点ではまったく同じです。これがいわゆる「快感原則」というものです。いわばヒトや動物の日常は、この快感を求めるためにあるといっていいでしょう。しかし、人間と動物が違うのは、動物の快感は本能の欲求を満足させることによってのみ得られるのにたいし、人間の快感は本能の充足以外にも、さまざまな状況、手段によって生まれてくるということです。


私たちヒトは、快感を追求していく過程で、食欲、性欲、集団欲の充足だけにとどまらず、文化的、精神的な充足を求めることによって、しだいに脳を発達させてきました。なかでも、大脳新皮質(人間脳)の発達がいちじるしいわけですが、こうしてヒトは「脳の動物」として進化を遂げ、精神世界の領域を大きく広げていったのです。


私たちの快感が、精神世界に大きく依存している証拠のひとつに、私たち人間は「笑い」というものを持つということがあげられます。私たち人間は、「いい気持ちである」「満足している」「うれしい」など、なんらかの快感を得ているとき、たいてい笑顔を浮かべます。笑顔は私たち人間の〝快感の証明〟です。


しかし、動物はこの笑いを持ちません。霊長類の仲間のなかには、笑いに近い表情を持つものもあります。いや、サルといわずイヌにも一種の笑顔に近い表現はあります。イヌがシッポを振るのは、イヌの脳が快感を得たとき、脳からの指令でシッポが動いているのですから、イヌがシッポを振るのは一種の笑いというわけです。


しかし、これは私たちが表情で表現する笑いとは、だいぶ遠く離れた世界の話です。哺乳類で笑いらしきものが顔に出てくるのは、ようやくサルに進化してからです。そのサルでも、キツネザルやメガネザルのような、脳がさほど進化していないサルではまだ笑っているのか、怒っているのか、さっぱりわかりません。キツネザルやメガネザルのような大脳新皮質の発達のとぼしい下等な霊長類では、本能の欲求が満たされたときの素朴な心の喜びも顔面にはほとんどあらわれません。