2.ディズニー映画の「末永く幸せに暮らしました」幻想

■ディズニーがまき散らすソウルメイト信仰

恋愛で最大の難関は誰かに出会うこと。それさえ乗り越えればあとは楽勝。

ディズニー映画では、求愛から争い、二人の邪魔をする魔女まで、カップルが結婚にいたるまでの出来事がすべて描かれています。しかしひとたび敵に打ち勝って二人が結ばれると、カップルとしての試練はそこでおしまい。あとは「末永く幸せに暮らしました」。

本当に? まさか。私はこの、恋愛で一番難しいのは出会いであるという誤った考えを、「“末永く幸に暮らしました”の誤謬」と呼んでいます。

■解決型マインドセットの考え方

恋愛は楽になることなどない。どれだけ健全で価値のある結婚生活でも、努力を要する。

相手を見つけることは簡単ではありませんが、実際の試練はその後にやってくることが多いものです。本当に大変なのは、信頼関係を築き、維持するために日々努力を惜しまないこと。新婚期間もとうに過ぎ、二人の子どもを育てあげて30年連れ添ったパートナーを、一日の終わりに愛おしく思うこと。

あなたの人生にふりかかる実際的、経済的、感情的、精神的な危機の中で、相手を愛する理由を思い出すことです。

3.ラブコメの「すてきな出会い」幻想

■ラブコメがまき散らすソウルメイト信仰

心配しなくても愛はあちらからやってくる。それも、友達に話したいくらいすてきな出会いになるはず。

ラブコメは、ディズニーのおとぎ話の大人版です。自分で映画のチケットを買うことがでる年齢で、不器用な英国人男性に惹かれる人向けのおとぎ話。誰もが、ラブコメは現実には起こらないことを知っています。それでも、ひそかに人類の集合的無意識にすり込まれているのです。

とりわけ「すてきな出会い」への期待は高いもの。ラブコメでは、男性主人公と女性主人公が初めて出会う、「すてきな出会い」の場面があります。

たとえば二人の登場人物がそれぞれ、ファーマーズマーケットに出かけたとしましょう。現実でもあり得そうなシチュエーションです。あなたがおいしそうなトマトに手を伸ばしたちょうどそのとき、隣のハンサムな青年も同じトマトに手を伸ばす。目が合い、胸が高鳴る。

彼は、「祖母のブルスケッタにはこのトマトが欠かせないんだ」と(イタリア語なまりの英語で)説明する。あなたは彼にトマトをゆずる。彼はお礼にカプチーノをおごらせて、と誘い、あなたはそれに応じる。そして11ヶ月後、大げんかののち、JFK空港で保安係に両腕を押さえられた彼が、韓国の広告代理店で新たな職に就こうとするあなたに、「行かないでくれ」と懇願する。究極の愛情表明でクライマックスを迎えるのです。

ラブコメは、愛はあちらからやってくるもので、自分から探すものではない、という考えを助長します。ひとめぼれは現実に起こり得るので、すべきことは、日々を過ごすだけ(そしてファーマーズマーケットをうろついて大量のトマトを消費するだけ)。

そうすると、いつか未来の花嫁・花婿がどこからともなく現れるはずだ、と。たしかに、パーティーやイベント、あるいは抗議集会など、日常には出会いがあふれていますが、この考えが問題なのは、自分の恋愛に過度に受け身になることを許す点です。

■解決型マインドセットの考え方

愛には努力が必要 ――見つけるためにも、維持するためにも。ファーマーズマーケットで待っているだけでは不十分です。誰かを見つけるために努力する必要があります。恋の魔法は、映画のような偶然の出会いがなくても存在します。見知らぬ二人が出会い、人生をつくりあげることこそ、魔法なのです。どこで、どのように出会うかは重要ではありません。