今の日本には、中東で銃撃された医師を評価する「物差し」がない

―本来なら日本の政府、政治がやらなければいけないことだった。

養老 抽象的には完全にそうなんですよ。アフガンで工事をやっている最中に米軍機に空爆されて、アフガンのアメリカ大使館に抗議文を送ったんですよ。自分で書いてますよ。(彼の)仕事は終わったわけじゃなくて、ハンセン病の病院をつくったんですね。すぐには閉められないから、それはまだやっているはずですよ。

名越 水路も補修がどんどん必要なんでしょ。

養老 そのために日本の竹かごの伝統を使っているんですよ。鉄の網に石を入れて、現地の人が自分で工事ができるように。江戸時代の九州の水路を見て歩いたんですよね。それが一番役に立っているわけです。現地の人たちが自分たちで修繕できるって。

―地域の人たちの自立を促す意味でも貴重ですよね。

養老 それがね、地域の人たち、いなくなっちゃった。アフガン難民100万人と言いますけど、そのほとんどは干ばつ難民なんですよ。みんな政治難民と思っているけど、そうじゃない。

―日本ではいつになったら評価するのでしょうか。

養老 別にほめなくてもいいけど、どう位置付けるかでしょうね。個人の自立って話だけど、中村さんなんかは典型的にそうですけど、今度はそれをどう評価するかっていう問題があって、なんの物差しも持っていないですよ。ポカンっていう感じですよね。

―人類にとって本当に必要なことを行った人に何の評価もしない日本ってなんだろうっていうことですよね。結局は、歴史が勝者、権力者の視点から書かれている、評価されているからでしょうか。

養老 政治史なんですよ。僕、調べたことがあってね、思想史はどうなっているだろうかって。そうしたら、思想史なんか何もなくて政治史なんだね。典型的なのが山鹿素行ですよ(※江戸時代の儒学者〈仇討ちは、天下の大道にて目のある場で打ち果たすが手柄というべし〉としている。「山鹿語類」)。

山鹿流陣太鼓(討ち入りの際、大石内蔵助が打ち鳴らしたといわれている)ってあるんだけど、しょせん赤穂浪士の討ち入りだということです(※「討ち入りの陣太鼓」は創作で、要は「討ち入り」が政治史になっているということ)。

 

養老 孟司
医学者、解剖学者

名越 康文
精神科医