自分が動くことがリスキーだと判断する、今の学生の「気質」

― 名越先生、大学教育にかかわられていて少子化問題や今の学生の気質をどうご覧になっていますか。

名越 すごく単純に言うと、大学生活が充実してくる時って、その前にまず目の色が変わるんですよ。何かこう、しつらえたものを与えられたり、これをやっておきなさいという形じゃなくて、「おれ、なんかやりたくなってきました」みたいな、その細胞が変わるというか、生気に満ちてくる。その段階をどうインスパイアするかっていうことが、僕なんかの立場からすると大事なんですね。でも、その段階は完全にすっ飛ばされている。ずっと言われるのは、「先生どうしたらいいんですか」ということ。

養老 やってみなけりゃ分かんねえだろう。

名越 あなた、その前に何かに手付けてるのとか、手付ける前に体温まっている? というところが完全に抜けているんですよね。どうすればいいかということを教えても体が起動しないと無意識レベルの集中というものが立ち上がらない。つまり一般によく言う「集中力」が出ないんです。

なぜかというと、個として動くことが嫌なんでしょうね。自分が動くことがリスキーだと判断している。誰かに言われて動くとか、鋳型ができたから型にはまりなさいというパターンだけで動く、それが得することで、自ら動くのはリスキーであることをもう条件付きで無意識の部分で覚えてしまっている。あるいは動く前に何を調べたらいいのか、段取りをどうしたらいいのか、とか。

これ、自分でも分かりますよ。僕もバンドやってるでしょ。これインスタとかでつないで、全体としてつながったらどうなるんだろ。やったことないから分からないな、となると途端におっくうになる。

で、やっぱりそれではいかんと分かって、そこのボーダーを超えて行くんじゃないかというヤツを探すと、大概そういうヤツは目の色が変わっている。それで、こいつ目の色変わっていると思って、その人に相談すると、なんかね、感染してくるんですよ。感染すると今までのいろんな見え方が変わっちゃう。その感染することも嫌がっている感じがしますね。感染するとこっちが熱を帯びて温まってくるという経験があるんですけど。

― 受け入れるという気持ちもないんですか。

名越 感染恐怖症です。この間池田清彦先生のユーチューブを見ていたら、先生いつから心理学者になったんやろうというぐらい、すごいこと言ってました。「皆さん、コミュニケーションの意味分かっていないですよ」と。「コミュニケーションというのは相手と自分、両方変わっていく時にコミュニケーションなんですよ」とおっしゃるわけです。そんな定義どこにあったっけというぐらい、素晴らしい発言でした。僕はやっぱり、そこら辺から考えてしまうんで、社会がどう変わったといっても、全部すり切れそうなタービンみたいに思うんですよね。

養老 今日はお客さんがいっぱい来ているんですけどね。一人はラオスに30年いた若原(弘之)君。今ラオスは外国人が行けなくなっちゃっているんで、ガイドみたいな仕事をずっとしてきたんですけど、仕事がないんで戻ってきた。それと小林(真大)君っていうここ2年半、ラオスで蛾ばかり採ってた青年がいますよ。学校なんか行ってない。ブレイクダンスやっているんですよ。

― ラオスからのお客さんのお話をうかがうと、自由に自分の意思で生きていらっしゃる感じが伝わってきます。まさに脱成長時代の生き方かなと。

養老 やっぱり周りの人を見ていると、それこそ自己責任と言いたくなりますね。自分で自分の居心地のいい状態を分かんなくなっちゃっている。(問題は)親の世代から起こっちゃっていることだからね。子どもの相手しているとよく分かりますよ。

名越 子どもって、親が知らない世界ですごい才能を発揮します。親はね、子どもに言いたいことだらけなんですよ。でも、それでは子どもからは何も意味のある言葉が出てこない。おまえ、その前にこれをやれ、と言われるに決まっているから。じゃあ聞いてやるから言ってみろ、ではもう自動的に体も心も閉ざして膠着するばかり。相手に開かれた心身の状態というものを大人が忘れている。心地のいい場所も探せないはずなんです。

― 最近、将棋や音楽の分野で活躍する若者が出てきていて、脱成長社会の中での可能性を感じます。

名越 将棋だとあまり金を使わなくてもいい世界ですね。

(トントントン、と机をたたく音。養老さんが虫の標本の入ったテーブルを叩いてニヤニヤしている)

養老 この世界は元手いらないよ(笑)。ここにいる小林君なんかそうですよ。2年半、ラオスにいたんだけど久しぶりに帰って来て、いやっていうほどゾウムシを持ってきてくれて。これから標本つくったり、整理したり大変ですよ。

養老 孟司
医学者、解剖学者

名越 康文
精神科医