ひざまずく道長

最後に、清少納言に登場してもらおう。「春は、あけぼの」の『枕草子』で知られる彼女は、正暦四(993)年、既に知的な女房の集められていた定子のもとに中途採用された。

記事はその翌年のことである。清少納言は定子について天皇の清涼殿(せいりょうでん)に来ていた。天皇の成長を受けて前年に関白となった道隆がちょうど退出する折で、隙間(すきま)なく並んだ女房たちが彼を送る。

戸口の前の女房が色とりどりの袖口も美しく御簾(みす)を上げると、外では権大納言の伊周が待ちうけ、道隆に沓(くつ)を履かせる。「関白殿ってすごい。大納言なんていう方に沓を履かせてもらうなんて」。教養あふれる貴公子・伊周に憧れる新人の清少納言は、道隆の栄華に溜息をつく。

清涼殿の戸口のすぐ北は弘徽殿(こきでん)、その北は登華殿(とうかでん)と、後宮(こうきゅう)の御殿が並んでいる。その登華殿の前まで、官人たちが居並び、みな道隆のためにひざまずいている。全員が四位(しい)以上の位を持った上級貴族たちである。その時、清少納言は彼らのなかに道長の姿を見つけた。

宮の大夫殿(だいぶどの)は、戸の前に立たせ給へれば、ゐさせ給ふまじきなめりと思ふほどに、すこし歩(あゆ)み出(い)でさせ給へば、ふとゐさせ給へりしこそ。なほいかばかりの昔の御行ひのほどにかと見たてまつりしこそいみじかりしか。

(中宮の大夫・道長殿が戸の前にお立ちだったので、私は「大夫殿は道隆殿にひざまずかれないだろうな」と思って見ていた。が、道隆殿が少し歩み出されると、大夫殿がさっとひざまずいたではないの! やっぱり関白殿、前世の行いがよほど良かったのね。私はそう拝察して感動したことだった)

(『枕草子』一二四段「関白殿、黒戸より」)

清少納言の目は道長に引き付けられた。そして「道長様は関白様にひざまずくまい」と予想し、固唾を吞んで見守った。この時まだ彼女は新人女房だったが、やはり道長と中関白家の間には、はっきりした緊張関係があると知っていたのだ。

結局、道長は清少納言の予想を裏切って道隆にひざまずいたが、最初は一人だけ突っ立っていて、道隆が歩き出した時に初めて身をかがめたのだから、十分目立っている。その効果を十分に計算に入れた、道長の示威行為と言えはしないだろうか。