「幸ひ」の人の母

藤原道長をカリスマ的成功者と描く歴史物語『大鏡』は、彼の母(時姫)についても謎めいたエピソードを記している。

この御母、いかに(おぼ)しけるにか、いまだ若うおはしける折、二条(にでう)大路(おほぢ)()でて、(ゆふ)()問ひ給ひければ、白髪いみじう白き女のただ一人行くが、立ち止まりて、「なにわざし給ふ人ぞ。もし夕占問ひ給ふか。何事なりとも、思さむことかなひて、この大路よりも広く長く栄えさせ給ふべきぞ」と、うち申しかけてぞまかりにける。人にはあらで、さるべきものの示し(たてまつ)りけるにこそ(はべ)りけめ。

(道長殿たちの御母上は、何を思われたか、まだお若かった時、二条の大路に出て夕占を試みられました。すると真っ白な白髪頭で一人きりで歩いていた女が立ち止まり、「あなた、何をなさっているのですか? もしや、夕占ですか? ならば、どんなことでも願いはすべて叶い、この大路よりも広く長くお栄えになることでしょう」とだけ言って立ち去った。人ではなく、なにか然るべきモノのお告げでございましょう)

(『大鏡』「兼家」)

「夕占」とは民間信仰の一つで、夕方に(つじ)に立って行う占いである。当時の百科事典『拾芥抄(しゅうがいしょう)』によれば、交差点に立って米を撒き呪文を三度唱え、道行く人の言葉に耳を澄まして占うという。

超常的な「幸ひ」の人は、既に母の代から超常的な何かに人生を約束されていた。道長の成功はそのようにまで考えねば説明できないと、『大鏡』は言いたいのだろう。

それにしてもこの夕占。ちょっと試してみたい気もする。

『拾芥抄』の記す呪文は、

「ふなどさや夕占の神に物問へば道行く人ようらまさにせよ(道の神様、夕占の神様に大切なことを伺いますから、道を行く方々よ、どうぞ正しく占いにこたえて下さい)」

である。