吉高由里子さんが主演する大河ドラマ『光る君へ』(NHK)が放送中です。物語は、吉高さん演じる、のちの紫式部“まひろ”と柄本佑さん演じる藤原道長の間の特別な絆を軸に進んでいきます。兄の娘である定子に仕えることになった道長ですが、定子の立后当日の儀式を欠席してしまいます。本稿では、平安文学研究者の山本淳子氏による著書『道長ものがたり』(朝日新聞出版)から一部抜粋し、道長が抱いていた道隆への思いに迫ります。
反骨を秘めながら、抗せず媚びず…大河ドラマで「ロバート秋山」演じる〈藤原実資〉はどんな人物? 中宮定子の晴れの日に姿を見せなかった「道長の反発」
定子を中宮にするために道隆が取ったアクロバティックな手段
実は制度上、「后」と呼ばれる地位は三つあり、中宮(皇后)と皇太后と太皇太后をいう。
最も単純に言えば、中宮は今上天皇の、皇太后は前の天皇の、太皇太后はさらに前の天皇の正妻である。ただ后の地位は天皇とは独立していて、天皇の代替わりや死によって后が代わることはない。
つまり新しい中宮が立てられる時とは、后である3人の誰かが亡くなるなど何らかの理由で空席ができたタイミングしかない。そのため、天皇と中宮にずれが生じ、新しい天皇の御代(みよ)になっても中宮には以前の天皇の正妻が就いたまま、ということがあった。そしてこの時の状況がまさにそれにあたっていた。
加えてそこには別の理由もあって、皇太后には今上天皇の母がなるというルートも存在した。円融天皇の正妻としては后になれなかった詮子(せんし)が4年前の寛和(かんな)二(986)年、息子・一条天皇の即位によって皇太后にいわば「横入り」したため、中宮は先々代の円融天皇の正妻である遵子(じゅんし)、皇太后は詮子、太皇太后は円融天皇の前の冷泉天皇(950〜1011)の正妻・昌子(しょうし)と、三つの「后」は満席状態だったのである。
そこで道隆は、アクロバット的な方法をとった。中宮に「皇后」という異名があることを利用し、中宮の地位を二分割して、現中宮を皇后、定子を新中宮として立后させたのである。
これを「二后冊立(にこうさくりつ)」という。このことの非常識さは、現代日本の総理大臣に置き換えてみればわかりやすいかもしれない。「総理大臣」に「首相」という異名があることを利用して、現総理とは別にもう一人首相が立つ。あり得ないことで、混乱は目に見えている。しかし道隆は、「中宮」と「皇后」でそれをやってのけた。実資が「聞いたことがない」と記す通り、前代未聞のことだった。
この時、一条天皇のキサキはまだ定子独りきりで、しかも天皇は定子を溺愛していた。敵のいない間にNo.1の座を確保しておきたい。そう考えた道隆は、強硬手段をとったのである。