「7」と「6.975」の違いが許せない日本は、グランドデザインを見失う

日本は、国際協調の枠組みから自ら離脱していきます。

1930年に開かれたロンドン軍縮会議は、巡洋艦や駆逐艦といった「補助艦」を削減するため、各国の保有割合を決める会議でした。日本が要求したのは、対英米比で「10:7」で、最終的に「10:6.975」で妥結しました。限りなく「10:7」に近いですよね。首相の浜口雄幸が粘ったからです。

ところが、天皇陛下が「10:7」と決めたのに、「10:6.975」で妥協したのはけしからんという、めちゃくちゃな理由で、浜口は殺されてしまいます。そして1936年、日本は軍縮会議から離脱します。

なんと愚かなことでしょう。当時、アメリカのGDPは日本の3倍以上ありました。つまり、軍縮会議がなければアメリカは、日本の3倍以上の艦隊をつくれるわけです。アメリカは大西洋と太平洋に面していますから、艦隊が10あったとして、太平洋側の日本に向けられるのは半分の5です。

アメリカの6割の規模の艦隊があれば、日本の方が有利です。それなのに「10:7は絶対で6.975はけしからん」などといって交渉が決裂すれば、アメリカは日本の3倍くらいまでやすやすと艦隊を強化できるわけです。

明治維新のグランドデザインは、阿部正弘が開国に際して示した「開国・富国・強兵」です。この3大方針のうちの「開国」、すなわち国際協調を、日本は捨ててしまいました。

「大甘」のリットン報告書を拒否して、国際連盟離脱

張作霖を殺害した日本軍は、満洲でさらに柳条湖事件を起こします。1932年には、清朝最後の皇帝の溥儀を祭り上げ、満洲国の建国を宣言します。めちゃくちゃです。これは放っておけないということで、国際連盟がリットン調査団を満洲に派遣します。

リットン調査団は報告書を出しましたが、これが大甘でした。「満洲国の主権は中国にある」といいつつ、「日本の権益も尊重する」というのです。だから「非武装の自治政府をつくることを提案する」と。

満洲の主権が中国にあるのは当たり前の話です。では「日本の権益」とは何でしょう。勝手に軍隊を送り出して中国から奪い取ったものです。こんな大甘な報告書ですから、「はい、わかりました」と認めてしまえばよさそうなものです。こんな幸運を、日本は自ら蹴とばします。満洲国の承認にこだわって1933年、国際連盟から脱退します。

この年にアメリカで大統領に就任したのが、フランクリン・ルーズベルトです。ルーズベルトは、公共事業に投資するニューディール政策を進め、経済を立て直していきます。