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ヴェルサイユ体制の「民族自決」原則を、ヒトラーは利用した

1938年3月、ドイツはオーストリアを併合します。ヒトラーは、さらにドイツ人が自治権を要求しているという理由で、チェコスロヴァキアのズデーテン地方を領土として要求します。さらに、「領土要求はこれが最後だ」と弁明しました。

ヒトラーは巧妙に領土を広げてきました。その背後には、第1次世界大戦後のヴェルサイユ体制の原則である「民族自決」がありました。「なぜドイツだけが民族自決を許されないのか」というのが、ヒトラーの建前です。

これを受けて、同年9月、ミュンヘン会談が開かれます。仕切ったのは、大英帝国の首相チェンバレンです。チェンバレンが腰抜けだからヒトラーを助長したともいわれますが、英仏にはもともと、ヴェルサイユ体制でドイツだけに過酷な条件を押し付けた負い目がありました。だから、ここでドイツに民族自決を認めたら、いよいよイコールの立場になる。それでドイツの拡大は終わるだろうと思ったのでしょう。

実際、ミュンヘン会談の後、ロンドンに戻ったチェンバレンは「フェアな裁定で、ヨーロッパに平和をもたらした」という理由で国民の喝采を浴びています。しかし、ヒトラーはもっと悪質だったのです。

同年11月、「水晶の夜」と名付けられた、ユダヤ人の迫害が始まります。翌年(1939年)3月、ヒトラーはボヘミアとモラヴィアを保護領としますが、これは民族自決とは関係がありません。いよいよ大英帝国とフランスは「これはあかん」と気づきます。