20世紀前半、パリ不戦条約が締結されるなど国際社会で広まりつつあった国際協調の機運が、ニューヨーク株式市場の暴落によって失われました。その流れのなかで台頭することになるヒトラーと、それを許してしまった英仏、中国への攻勢を続ける日本の動向を、立命館アジア太平洋大学(APU)名誉教授・学長特命補佐である出口治明の著書『一気読み世界史』(日経BP)より解説します。
歴史は変わっていた?…ヒトラーの独裁体制開始→ドイツの強国化を連合王国・フランスが見逃してしまった「残念すぎる事情」【世界史】
張学良を甘く見た日本
中国では、孫中山の跡を継いだ蔣介石が、北京の軍閥政府を倒すために動き始めます。そして1927年、南京に国民政府をつくります。孫中山は第1次国共合作で共産党と手を組みましたが、蔣介石は反共クーデターを起こして決裂します。
日本はこれを機に、山東半島に出兵するなど、中国にちょっかいを出します。
蔣介石の軍が北京に入ります。すると、北京で軍閥政府を取り仕切っていた張作霖は北京を捨てて、特別列車で故郷の満洲に向かいます。この列車を日本軍が爆破し、張作霖を殺害します。
張作霖は満洲の大軍閥の総帥で、張学良という子どもがいました。張学良は、アヘンを吸ってはガールフレンドと遊んでいます。「この息子なら簡単に操れて、満洲の利権を奪える」と考え、お父さんを殺したのです。これに張学良は激怒し、宿敵の国民党政権と組んで、日本に抵抗を始めました。プレイボーイでも、中国人の魂を持っていました。
国際協調路線に、大不況が水を差す
1928年、パリで不戦条約(ケロッグ=ブリアン条約)が結ばれます。国際紛争を解決する手段として軍事力を放棄するという画期的な内容で、今の日本国憲法のベースとなっています。国際協調路線はピークに達し、世界は平和に向かうように思われました。
ところが1929年、「暗黒の木曜日」を境に、ニューヨークの株式市場が暴落します。世界が突然、大不況に陥りました。世界恐慌です。
英仏やアメリカは、それぞれの植民地を守って、自分のグループだけでも生き残ろうとします。ブロック経済の始まりです。そんなことをされては、植民地を召し上げられたドイツは生きてはいけません。経済不況がドイツでナチスを勢いづかせることになります。
ドイツに課せられた賠償金の1,320億金マルクは358億金マルクに減額され、最後は30億金マルクまで減額されます。支払い不可能なことは明らかなんですから、最初から30億金マルクにしておけばいい話です。
30億金マルクに引き下げた1932年7月、ドイツの国会選挙でナチスが第1党になりました。