『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』の著者である稲垣えみ子さんは、会社を辞めたことをきっかけに広い家から新居に引っ越すことに。しかし、狭い新居の台所収納はそれまでの4分の1程度しかなく、大々的に台所用品を絞ることになりました。不便になるかと思いきや、その片付けは「永遠に美味しい生活」に繋がっていたのです。そんな片付けから始まる実体験を著書から一部抜粋してご紹介します。
キッチン用品大処分→貧乏長屋状態の台所でつくれるのは「メシ・汁・漬物だけ」…なのに毎日「究極のご馳走」を食べて満足できているワケ
「ノリ」一つで大コーフン…「ケ」こそが「ハレ」を生む
最初に起きたことは、毎日の「ケ」の食事が、飽きるどころか、逆に「おおっ」という楽しみで満たされ始めたということである。
というのは、献立が地味すぎるがゆえに「ちょっとしたこと」が全部「おおっ」になるのだ。わざわざ外食など行かずとも、この「メシ・汁・漬物」に一品を加えただけで「おおっ」となるのである。
で、この一品っていうのが、ノリ、とか、納豆、とか、大根おろし、とか、そういうものなのですよ。そんなものが全部「おおっ」。よく考えればそれも当たり前で、「空腹は最大の調味料」って言葉があるが要するにそういう類いのことである。
毎日春巻だラザーニャだタイカレーだ鳥のカラアゲだエビフライだとめくるめくご馳走が日々取っ替え引っ替え食卓に並んでいればノリが出てきたってなんとも思わないでしょうが、っていうかノリなんぞ地味すぎて出番すらないでしょうが、毎日おかずは「漬物」とくりゃ、ノリなんて出てきた日にゃあ、あらまあ、なにこの鼻の穴が膨らみまくるような香りは? なにこのいい感じのパリパリ? なにこのご飯との絶妙のマッチング……? っとなるのである。
こうなってくると、肉屋で買う揚げたてコロッケとか、豆腐屋で買うがんもどきなんてことになれば、異次元のお祭り騒ぎ。つまりはですね、私、当初は単に、これからは「ケ」と「ハレ」を分けるのだと考えれば「ケ」の地味な食生活も耐えられるはずと思っていたんだが、そんな次元の話じゃなかった。
「ケ」こそが「ハレ」を生むのだ。「ケ」なくして「ハレ」なし。これまでは毎日がハレだったので、ハレはハレでもなんでもなかった。単なる当たり前として日常に埋もれていた。それが、日常の中に「ケ」を作り出したことで、高価でもなんでもない世間のフツウの食べ物が、そして自分の中でもまるっきり軽視あるいは無視していた食べ物が、次々と私の中で絶大なる「ハレ」の食べ物と化したのだ。
なんでもゴチソウ、なんでもアリガタイ。いや……これってめちゃくちゃお得ではないか! さらにこうなってくると、これまでは様々な情報を集めて電車に乗ってレストランなどにいそいそと出かけて「美味しいもの」にありつこうと努力し続けてきたわけですが、そんな必要もない。
何しろノリでコーフンしている身となれば、歩いて2分の町中華で食べるギョーザなんぞ食べた日にゃあ、その思い出を胸に半年生きていけるほどの満足感である。
あまりに嬉しそうにギョーザを食べるので、すっかり町中華のおっちゃんに気に入られ、ニコニコと見守られながらハフハフとギョーザを頰張る至福ったらない。ってことで超近所に行き付けの名店ができるわ家事は楽になるわでこれ以上の「美味しいこと」なんてないと思う今日この頃。
で、それだけでも大革命だったんだが、コトはそれだけじゃあ終わらなかったんである。