『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』の著者である稲垣えみ子さんは、会社を辞めたことをきっかけに広い家から新居に引っ越すことに。しかし、狭い新居の台所収納はそれまでの4分の1程度しかなく、大々的に台所用品を絞ることになりました。不便になるかと思いきや、その片付けは「永遠に美味しい生活」に繋がっていたのです。そんな片付けから始まる実体験を著書から一部抜粋してご紹介します。
キッチン用品大処分→貧乏長屋状態の台所でつくれるのは「メシ・汁・漬物だけ」…なのに毎日「究極のご馳走」を食べて満足できているワケ
江戸時代の貧乏長屋の台所か?
まずは、調理道具。
・鍋……小鍋と小フライパン一個を残して、全捨て
・調理家電……全捨て
・おたまやヘラなどのキッチンツール……しゃもじ一個残して、全捨て
・カトラリー……箸二膳と、スプーンフォーク一個ずつを残して全捨て
続いて、調味料類。
・調味料……塩、味噌、醬油を残して全捨て
・香辛料……コショウと唐辛子とカレー粉を残して全捨て
まさに江戸時代の貧乏長屋の台所である。っていうかそれは当然で、まさしくそれをモデルとして何を残すかを決めたのだ。
これが何を意味するかというと、私はこれから、江戸時代の貧乏長屋のような食生活を生涯続けるということである。
上記の「残したもの」を見ていただければわかると思うが、これで作れるものといえばまさに「ご飯、味噌汁」。あとは、おひたしや煮物などの簡単地味な惣菜。私はそんなものだけをこれから死ぬまで食べ続ける人生を送ることを断腸の思いで決断したのである。
しつこいようだが、モチモチ玄米ご飯もアルデンテも蒸したて餃子もエスニックもなしである。
いうまでもなく、このような人生の一大事をやすやすと決断できたわけではない。ウジウジ悩み、がっくりし、何度も気持ちがぼきぼきと折れた。
でも最後になんとか自分を納得させることができたのは、以下のように気持ちを整理したためである。
もしご馳走が食べたくなったら、つまりパエリアとかアルデンテのスパゲティとかコロッケとかがどうしても食べたくなったら、店で食べれば良いではないか。これまではそのようなご馳走を自分の力で作れることを誇りに思って生きてきたが、餅は餅屋。ご馳走こそ、その道の専門家が作った最高のものをいただけば良い。
そうだよ。これまで毎日ご馳走を食べることを目指して生きてきたが、物事にはハレとケというものがある。日常はケであって良いではないか。その「ケ」があるからこそ、たまの「ハレ」がより嬉しい。
これからは、そんなふうにメリハリのある食生活を新たにスタートさせるのだ。私は決して負けたわけでも惨めなわけでも転落したわけでもないんだー! と、無理やり自分を納得させたのだった。
で、現実にやってみて一体どうだったのか。