「産業革命」で生産技術と財力を圧倒的に高めた連合王国(イギリス)。得意の戦争を巧みに繰り広げ、植民地支配を進めていきますが、その身勝手な行動により、ついに植民地による反発が起こります。立命館アジア太平洋大学(APU)学長特命補佐である出口治明の著書『一気読み世界史』(日経BP)より、当時の状況をくわしく見ていきましょう。
〈産業革命〉で一気に強国化!…「戦争で領地拡大」を“お家芸”としていた連合王国が〈アメリカ独立戦争〉で敗北を喫したワケ【世界史】
連合王国で偶然が重なり、「産業革命」が起きる
連合王国で産業革命が起きます。なぜ起きたかというと、きっかけはインドです。
17世紀にイングランド(のちの連合王国)は、ネーデルラントと争った末に、モルッカ諸島などの東南アジアをあきらめて、インドで我慢しようと決めたのでしたよね。それでインドをあらためて調べたら、かなりのお金持ちだったのです。
インドは中国とヨーロッパの交易の中間地です。そしてインドに寄港した船は水や食料だけではなく、服を買っていました。だって海で仕事をしていたら、服はずたずたになるでしょう。だからインドは綿織物で儲かっていたのです。それを見て連合王国は「そうか、綿織物は儲かるのか。うちもつくろう」と思いました。
ちょうどそのころ、イングランド本国では木をみんな切り倒してしまって、燃料にする木がほとんどなくなっていました。燃やすものがなかったら冬を越せないので、石炭を掘り始めました。ところが湿地帯なので、少し掘っただけで水がたくさん出てきます。それを人手でくみ出していたら、みんながくたくたに疲れてしまいました。
すると、ニューコメンが蒸気機関を使った排水ポンプをつくったのです。蒸気機関の仕組みそのものは、紀元前後のアレクサンドリアで発明されていましたが、実用化したのはニューコメンです。お湯を沸かしたときにやかんの蓋が飛ぶのを見て、この蒸気の力を使ったら排水ポンプができるんじゃないかと考えたのです。
ニューコメンの蒸気機関は、上下運動だけでした。それをワットが、回転運動に変換できるように改良して、いろんな機械に蒸気機関を使えるようになりました。これが産業革命のスタートで、連合王国では、綿織物が機械でつくれるようになりました。
かわいそうなのはインドです。インドの綿織物は人力でつくっていて、機械に負けてしまいます。インドの綿織物産業は衰退して、逆に綿織物の輸入国になりました。そうなると、綿織物の代金を払わなくてはなりません。すると東インド会社が、お茶やアヘンなどの輸出作物をつくれといいます。仕方なく輸出作物をつくるようになると、米や麦といった食料が足りなくなり、それをまた輸入しなくてはならなくなります。
だから、インドは産業革命によって「両腕を切り落とされた」といわれます。今までは食料もたくさんつくれたし、綿織物もたくさんつくって儲けていたのに、両方ともつくれなくなって、連合王国の植民地になっていくわけです。
こうやって考えたら、産業革命は偶然の産物です。連合王国がインドに集中した。本国で木を切りつくした。そこで石炭を掘ったら水が出た。そんな偶然の積み重ねから産業革命が起きました。けれど、そこから連合王国は圧倒的に強くなりました。そこからさらに、ヨーロッパが世界の覇権を握るという偶然がもたらされるのです。