「産業革命」で生産技術と財力を圧倒的に高めた連合王国(イギリス)。得意の戦争を巧みに繰り広げ、植民地支配を進めていきますが、その身勝手な行動により、ついに植民地による反発が起こります。立命館アジア太平洋大学(APU)学長特命補佐である出口治明の著書『一気読み世界史』(日経BP)より、当時の状況をくわしく見ていきましょう。
〈産業革命〉で一気に強国化!…「戦争で領地拡大」を“お家芸”としていた連合王国が〈アメリカ独立戦争〉で敗北を喫したワケ【世界史】
黒海への道を切り開いたエカチェリーナ2世は「大帝」となる
ロシアのエカチェリーナ2世は有能な君主で、オスマン朝に衰退の兆しを見ると、戦争を仕掛けます。1774年のキュチュク・カイナルジ条約で、黒海北岸に領土を得て、黒海の自由航行権をオスマン朝に認めさせます。クリミア半島もゲットしました。
ロシアにとって、南方の暖かい港を得ることは国家戦略上、重要でした。黒海には戦略的な意味があったわけです。だから、エカチェリーナ2世はピョートル1世と並んで「大帝」と呼ばれるようになりました。ロシアの皇帝で「グレート」を付けて呼ばれるのは、この2人だけです。
ピョートル1世はサンクトペテルブルクを建設してバルト海への道を切り開き、エカチェリーナ2世はクリミア半島を手に入れて黒海への道を切り開いたということで、歴史上高く評価されているのです。
出口 治明
立命館アジア太平洋大学(APU)
学長特命補佐