紫式部と道長、2人の物語で話題を呼んでいる大河ドラマ『光る君へ』(NHK)。歴史の教科書に載っている貴族たちも次々に登場し、権謀術数渦巻く貴族政治を繰り広げます。ドラマで吉高由里子さん演じる“まひろ”はのちの紫式部。彼女の遺した『紫式部日記』を紐解くと、紫式部と道長の実際の関係性が明らかになりました。本稿では、歴史研究家・歴史作家の河合敦氏による著書『平安の文豪』(ポプラ新書)から一部抜粋し、紫式部の生涯について解説します。
紫式部の活躍
紫式部がいつ宮中から下がったのかは記録にないし、やめた理由もわかっていない。ただ、40歳頃の長和二年(1013)までは現役だったようだ。近年は寛仁三年(1019)まで女房をしていたという説も登場している。
ただ、それからまもなく死去したらしい。年齢でいえば40代後半になるはずだが、晩年、どこでどんな生活を送ったのかはまったくわかっていない。
『源氏物語』はその後も人びとに愛読され続け、約150年後の十二世紀には、この物語をもとに『源氏物語絵巻』がつくられた。現在、絵巻は国宝に指定されている。
しかも絵巻の第三十八帖「鈴虫」の二の絵が、西暦2000年に発行された二千円札の裏の図柄に採用された。このお札には小さく紫式部の姿も配された。『紫式部日記絵巻』の「紫式部の局を訪とう斉信と実成」の絵から切り取ったものである。紫式部本人も、1000年後に自分がお札の図柄になるとは思いもしなかったろう。
河合 敦
歴史研究家/歴史作家