紫式部と道長、2人の物語で話題を呼んでいる大河ドラマ『光る君へ』(NHK)。歴史の教科書に載っている貴族たちも次々に登場し、権謀術数渦巻く貴族政治を繰り広げます。ドラマで吉高由里子さん演じる“まひろ”はのちの紫式部。彼女の遺した『紫式部日記』を紐解くと、紫式部と道長の実際の関係性が明らかになりました。本稿では、歴史研究家・歴史作家の河合敦氏による著書『平安の文豪』(ポプラ新書)から一部抜粋し、紫式部の生涯について解説します。
紫式部と道長の関係
『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルは、諸説あって確定していないが、有力な1人が藤原道長である。
道長の項で述べたように、道長には倫子と明子という2人の妻がいるが、権力者ということもあって、それ以外にも多くの女性と性愛関係を結んでいた。しかも年上の女性に愛されており、光源氏の恋愛遍歴に似ている。
そんな道長が、紫式部にもいい寄ったという説がある。『紫式部日記』にある話だが、あるとき道長が彰子のところにやって来て、置かれていた『源氏物語』を手にとり、側に控える紫式部に向かって
という戯れ歌を詠んだ。対して紫式部は、即興で
という意味の返歌をした。経産婦なのによくいうが、このすぐ後に、次のような文章が載っているのだ。
『夜もすがら水く ひな鶏よりけになくなくぞ真木の戸口に叩きわびつる(水鶏は夜通し、戸を叩くような声で鳴くけれど、私はもっと泣きながらあなたの部屋の戸をずっと叩いていたのですよ)』
という歌が届いた」
戸を叩いた男が誰かわからないし、紫式部は部屋に男を入れなかったうえ、送られてきた歌に対し、
という返歌をしたとある。
ただこの話は、道長との好きな者云々のやりとりに続いて『紫式部日記』に出てくるので、戸を叩いた男は道長だという説が有力である。また、2人の間には、一夜限りの契りがあったのではないかとか、紫式部は道長の妻だったのではないかという説もある。
周知のように、平安時代の恋愛は男が女に愛を告白する歌を送ることから始まる。ただ、一度は女性が断るのがエチケットだった。やがて二度、三度と愛の歌が届き、女性がその想いを受け入れた場合、返歌を男性に届けた。もちろん男性はその夜、女性の屋敷へ入って想いを遂げるのだ。
当時は相手の容姿より、和歌のうまさが恋愛の成否に大きく関わってきた。そのため、中には自分で歌をつくらないで親族やプロの歌人に代作を頼むケースも多かったといわれる。
果たして紫式部と藤原道長が男女の関係になったかどうかは不明だが、道長が紫式部を高く買っていたのは間違いない。