物怖じせず、頭角を現す

さて、いよいよ宮中に入った清少納言だが、当初は宮廷生活に圧倒されて借りてきた猫のようにおとなしかった。

「宮に初めて参りたる頃、ものの恥づかしきことの数知らず、涙も落ちぬべければ、夜々参りて、三尺の御几帳の後ろにさぶらふ」

と『枕草子』にあるように、宮仕えを始めた頃、恥ずかしいことばかりで涙がこぼれそうなので、毎夜、定子の前に参上しても几帳の後ろに隠れていたのだ。この時代、貴族の女性は人前で顔を見せるものではないとされ、几帳や扇子で隠しているのが常だった。

だが、宮仕えをするからにはそういうわけにもいかず、定子をはじめ女房たちの前で顔をさらし、時には用事でやって来る定子の親族や男性貴族たちにも顔を見られてしまう。これは、清少納言にとってかなりショックだったようだ。

とはいえ、自分で憧れて入った世界であった。まだ十分再婚ができる年齢だったし、独身だとしても実家や兄姉の世話になって生きる方法もあった。でも彼女は、自分の可能性というものを試してみたかったようなのだ。『枕草子』には、こんなことが書かれている。

「将来に何の望みもなく、家庭に入ってひたすらまじめに生き、偽物の幸せを生きる。そんな人生を送る女を私は軽蔑する。やはり、高い身分の娘は、しばらく宮仕えをさせ、世間の有様をしっかり見聞させるべきだと思う。中には宮仕えする女はよくないと悪口をいう男がいるけど、本当に憎たらしい」

当初、清少納言は先輩の女房たちが物怖じせずに定子やその親族と談笑する様子を憧憬の目をもって眺めていたが、しばらく経つと宮中での仕事にも慣れていき、やがて、20人ほどいる定子の女房衆の中で頭角を現していった。

とくに宮中で彼女を有名にしたのは、よく知られている「香炉峰の雪」の逸話だろう。

雪がたいそう降り積もっている日、清少納言ら女房たちは格子(雨戸)をおろしたまま、炭櫃(火鉢)に火をおこして雑談をしていた。すると、急に定子が「清少納言よ、香炉峰の雪はどんなであろうかの」と語りかけてきたのだ。

そこで清少納言はとっさに女官に命じて格子を上げさせ(みす)をを巻き上げたのである。中唐の白居易(白楽天)の詩に「香炉峰雪撥簾看(香炉峰の雪は簾(すだれ)を撥(かか)げて看(みる)」という一節がある。定子がこれに言及しているのだと気づいたので、すぐさま清少納言は御簾を巻き上げたというわけだ。

このように、漢籍や和歌の教養が深く、しかも定子や男性貴族たちの問いかけにアレンジを加えたり、機知をきかせたりして応えるので、定子の父の道隆や兄の伊周にも気に入られるようになっていった。