生きる目的が長生きでは本末転倒

私たちが5年間、京丹後市の高齢者の腸内フローラを調べてきてわかったことは、彼らの食事や運動の生活習慣から学ぶことはもちろんですが、やはりメンタルが重要だということです。
 
70歳ぐらいになると、長生きが人生の目的になってしまう人がいますが、京丹後市の高齢者は誰一人として「長生きするために」と思って生きてはいません。

そして前述のように「人の世話にはなりたくない」と思って生きています。人の世話にならないために、食事は自給自足を意識しています。

もちろん買うものもありますが、畑で野菜をつくったり、海に行って海藻を採ってきたりしています。それが結果的によい運動にもなっています。日常生活における活動量がとても多いのです。

彼らも、いざというときには病院が必要になるかもしれません。でも病院の世話になってまで長生きしたいとは思っていません。

だから私たちがやることは彼らを見守ることだけです。高齢者を集めて、運動をさせたり、これを食べなさいということはしません。なぜなら、彼らのコミュニティを壊したくないからです。

日本の長寿地域と短命の地域を調査すると、数十年前まではきれいに分かれていました。それはかつてのコミュニティはよい意味で閉鎖的だったからです。公共交通が発達していなかった頃は、コミュニティ同士の交流も少ないですし、人の出入りもそんなにありません。

そういったコミュニティで生活していると、その地域でみんなが生きていくための工夫をしないといけません。

京丹後市もそうですが、珍しい郷土料理や発酵食品などを工夫してつくり、伝えてきた地域というのは、もともと米があまりとれなかった地域に多いのです。

昭和の頃、山梨県の棡原(ゆずりはら)村(現・上野原市棡原地区)は、日本有数の長寿村として知られていました。この地域は水田がつくれないため、そばや麦、いも類が主食だったと伝えられています。

また家や畑が急斜面にあるため、日常的な活動量が大きかったことが長寿の理由ともいわれていました。

そんな長寿村は全国にたくさんありましたが、現在のようにマイカーでどこにでも行ける時代になり、スーパーやコンビニがあちこちにできると、伝統的な食文化は失われていきます。