便利なものを使うのをやめて、初めて知った事実

炊飯器をやめた。電子レンジをやめた。掃除機をやめた。洗濯機をやめた。冷蔵庫をやめた……もちろんいずれも決死の覚悟。

何しろこのどれ一つとしてそれなしの人生なんて経験したこともなく、これなくしてどうやって家事が成り立つのか想像したことすらなかった。どれほど大変なことが待ち受けているのかと超ビクビクと怯えながらの決断だった。

ところが。いざやってみたら、全くどうってことなかったのだ。それどころか、どんどん家事がラクになってきたのである。

もちろん混乱した。

そして必死に考えた。これは一体どういうカラクリなのか?

思うに、理由は主に二つある。

一つは、便利なものはまさにその便利さゆえに、シンプルな物事をいつの間にか「オオゴト」にしてしまう特性があるのだ。

どういうことかといいますと、便利なものを手に入れると、確かに「できること」が増える。ところがこの「できること」がいつの間にか「やらなきゃいけないこと」になり、さらにそれがいつの間にやら「豊かな人生」ってことになって、そこから降りてはいけないというプレッシャーに取って代わるという、もうなんというかものすごく良くできた蟻地獄のような現実の中を私は生きていた。

その事実を、私は便利なものを手放して初めて知ったのだ。

洗濯機を手放したら洗濯物そのものが一気に減った

例えば、こういうことである。

洗濯機があると大量の洗濯物をらくらく洗える。どんな大ものも硬いものもかさばるものも放り込んでスイッチを押せば終わり。

いやー、なんともありがたい話ではないか!

……となると、洗濯物が増える。迷いなく増える。無意識のうちにどんどこ増えまくる。だって増えたところで洗濯の手間は変わらないので増やしていいんである。つまりはなんでもかんでもちょこっと使っては迷いなく洗濯カゴにドカドカ放り込みまくるのが当たり前になる。そのうち、大量の洗濯物を一気に洗った方が効率的ではと「週末にまとめ洗い」なんてナイスなアイデアも思いつく……というのが、かつての私のお洗濯ライフであった。

どこからどう見ても合理的ですよね! ところが、なぜかこの完璧なはずのアイデアの裏で、実は「厄介なこと」がじわじわ紛れ込んできていたのであった。

当然のことながら、下着やタオル、ふきんなど毎日使うものは、少なくとも一週間分揃えることになった。だって週末にまとめ洗いするんだから、そうでなきゃ同じ下着を二日連続で着る羽目になる。かくしてモノがどんどん増える。そしてそれだけじゃない。問題は、汚れ物を最大1週間ため込むのが当たり前になったことだ。

洗濯カゴにはいつだって「汚れ物」がたまっていて、それを見るたびにモヤっとする。つまりは清潔に暮らすための専用マシンを手にしているにもかかわらず、どうも清潔な暮らしをしている感じが全くしない。でもこれ以上一体何をどうすれば良いのか見当もつかず、ただただモヤモヤと暮らし続けていた。

それがですね、例の節電で洗濯機を手放したら、そのモヤモヤが一気に飛んで行ったのである。

なぜかといえば、その途端に洗濯物が一気に減ってしまったのだ。

だって洗濯機がなければ自分で手洗いするしかなくなり、となると「大量のものを一気にまとめ洗い」なんて絶対できない。したくもない。ってことで結局毎朝、前日使った下着とタオルなどをちょこまか洗って暮らすことになった。

このように洗濯が「毎朝のルーティーン」となると、ムダに大変な洗濯は可能な限りやりたくなくなるのが人情というものである。

例えばフカフカのバスタオルなど、手洗いすることを考えたらとてもじゃないが使う気になれませんよ!ってことで、バスタオルは全て処分。考えてみりゃ小さいタオルが一枚あれば体なんて十分拭けるじゃん。ってことで、モノを持つ基準がステキとかオシャレとかではなく「洗いやすく絞りやすいか」どうかが最優先となり、となると物欲も一気にしぼむ。

いろんなものを一週間分揃える必要もなくなった。下着も毎日洗えば雨が降ることも考えて3セットもあれば十分だ。

かくしてモノは減り欲も減り洗濯物も減り洗濯時間も減り、となればもちろん干したり取り込んだりたたんだりする手間も時間も一気に減り、結局、洗濯という行為そのものに費やす時間も労力も一瞬にしてしぼんだのである。

それは驚くほど簡単で快適で清潔な生活だった。

そうなのだ。清潔に暮らすとは、大量のものを効率的にまとめて洗うことではなく、「その日の汚れ物をその日に洗うこと」だったのだ。その行為自体が、新しいまっさらな一日をまっさらな気持ちでスタートする合図なのだ。人生を明るく前向きに生きるエンジンなのだ。

それこそが「洗濯」ってものの意味だったのである!

そしてそれは、ほんのちょっと工夫さえすれば、洗濯機などという大げさなマシンがなくとも、タライ一個で簡単に実現できることだったのだ。