「便利」には恐ろしい側面がある

つまりはですね、便利なものは確かに大きな可能性を持っている。でもその可能性が大きいほど、本当は自分が必要としていない可能性もたくさん提供してくださるわけで、しかしその可能性がある以上、いつの間にか、なぜか「自分」そっちのけで可能性を満たすことの方を優先していたりするんである。

ってことで、洗濯機を使うほどに「清潔な暮らし」から遠ざかってしまう私のような人間が登場するのである。

洗濯機だけじゃない。

冷蔵庫も電子レンジも手放したら、冷凍も作り置きもできないから日々ごく単純な料理をするしかなくなってしまったが、やってみればそれで十分満足できる自分がいた。でも冷蔵庫や電子レンジがあると、それを使ってあれこれ凝ったたいそうな料理を作ることが当たり前になってしまう。で、いつの間にか、日々凝ったものを作ることのできない自分に敗北感や罪悪感を抱いたりしてしまう。

つまりはですね、便利なものっていうのは「自分」を見えなくするわけですね。本当の自分は案外ちょっとのことで満足できるのに、えらく大掛かりなことをしないと満足できない、幸せが得られないかのような錯覚を日々作り出していくという恐ろしい側面を持っているのであります。

稲垣 えみ子