戦前、京都の河原町通りは、都市計画道路において1番最後に着工が開始しました。河原町通り沿いには、同志社大学設立者である新島襄の旧邸など、今もなお当時の建物が多く残っています。おさんぽしながら見ることのできる名建築を、著書『京都・大阪・神戸 名建築さんぽマップ 増補改訂版』(エクスナレッジ)より、円満字洋介氏が解説します。
内務省を震撼させた都市計画道路
京都の都市計画道路の中で、最も着工が遅れたのが河原町通りだった。当初予定されていた木屋町通りの拡幅が、先斗町を先頭とする反対運動の結果取りやめとなり、1本西の現在の河原町通りに計画変更されたからだ。戦前の都市計画道路が地元の反対で路線変更された事例は極めて少ない。それほど京都は他都市よりも地元が強かったわけだ。河原町通りの拡幅は北から順次着工され、1924年、今出川から丸太町までの市電河原町線が開通した。通り沿いにはそのころの建物が今も残っている。
タイル貼りの魔術師吉田の大作
京阪神宮丸太町駅から鴨川を渡ってすぐの旧京都中央電話局は、北側の目のような屋根窓がドイツ民家風だといわれている。屋根もジャンプ台のように軒先ですこし反り上がるヨーロッパの石造建築の屋根の形だ。
新風館と同じ吉田鉄郎の設計で、形はまるで違うけれど、きちっとしているところは似ている。こんなに凹凸のある建物を全面タイルで覆うのはけっこう難しい。それを破綻なくまとめる力は並大抵ではない。そればかりか新風館のように飾り貼りを見せてくれたりする。タイル貼りの魔術師と呼んでもいいくらいだ。1階窓下換気口の渦巻き模様を忘れずに見ておこう。
スクラッチタイルが美しい
京都中央信用金庫は五条大橋の支店など近代建築が多い。河原町丸太町西入ルのこの丸太町支店はスクラッチタイルのきれいなビルだ。アーチ窓を円形に処理するのは、あるようであまり見ない珍しいデザイン処理だ。
どこか和風な新島洋館
丸太町通りを渡り、寺町通りを北に向かった新島襄旧邸は、本来は庭に面していて、外からはあまり見えなかったのではないか。建物は装飾もなく質素な美しさがあり、どこか和風に見えるのが不思議だ。屋根が和瓦であるだけでなく、形も日本的で勾配が緩くて少しむくっている。むくりとは反りの反対用語で、京町家はたいがいむくっている。そのほうが雨が流れやすいからだと聞く。そうした納め方が、この洋館を日本的にしているのかも知れない。
アールデコで固めた会館建築
荒神口に向かうと現れる鴨沂会館は、基本アールデコだろう。構成主義的な壁面分割、特徴的な玄関脇の丸柱、スリットとその下のへこみ模様、そうしたデザインがモザイクタイルできちんと包まれて、シャープな陰影をかたち作っている。