戦前、京都の河原町通りは、都市計画道路において1番最後に着工が開始しました。河原町通り沿いには、同志社大学設立者である新島襄の旧邸など、今もなお当時の建物が多く残っています。おさんぽしながら見ることのできる名建築を、著書『京都・大阪・神戸 名建築さんぽマップ 増補改訂版』(エクスナレッジ)より、円満字洋介氏が解説します。
河原町通りは近代建築のオンパレード
茶道建築からのイマジネーション
河原町通りの京都府立文化芸術会館は、使いやすさで定評のある劇場だ。富家宏泰の設計は動線が明確で使いやすい。大きな建物だけど勾配屋根をかけて、圧迫感を抑えている。おもしろいのはエントランスが中庭付き回廊になっていること。富家は茶道建築からの翻案が多いが、これも茶庭の待合のイメージなのだろう。回廊床のヨーロッパの道路のような石貼りも、素材を楽しむ茶庭的だ。
近代建築ファン垂涎
河原町通りを渡った京都府立医科大学旧付属図書館は、何度見ても見飽きない近代建築ファンにはたまらない建築だ。正面のスクラッチタイルとテラコッタ、型押しモルタル、石材の組み合わせが素晴しい。内部の床タイルや玄関欄間のステンドグラスなど、見所満載で、古いエレベータの階数表示板まで残っている。病院の建て替え時に解体予定だったが、大学側の要望により保存された。
近代建築の楽しい再活用例
河原町通りを北に進むと現れる清和テナントハウス。建物前の河原町通りが拡幅されて市電が走ったのは大正13年なので、その頃の建物に見える。元々何の建物だったのか分からないが、こうした水平ラインが強調されたデザインは交通局関係に多かった。今はカフェや劇団などが入居して楽しく使われている。2階窓下の水平ラインが三角形断面になっているところがかっこいい。
小技の効いたスパニッシュ
清和テナントハウスの北並びにある三共不動産は、とても大事にお使いになっていて見ていて気持ちがよい。スパニッシュ風の外観で、足元を繊細なスクラッチタイルで包む。玄関扉を外壁から奥へ下げているのは傘をたたむためのポーチだが、庇をつけなかったので、アーチ状の陰影が深く刻まれて建物に落ち着きを与えている。2階窓上の立体的な施釉タイルが珍しく、円を重ねたようなデザインがとてもおもしろい。1階左側の庇は、元は店舗用の出入り口だったのだろう。
オーナーのメンテが光る
河原町今出川上ルの岡田商会は、元銀行だったともいわれるが、元から精肉店だったようにも見える。どちらにせよ、ほぼそのまま残っているのが素晴しい。スレート葺きに見える屋根が美しい。窓がサッシに変わっているが、そのおかげで建物が長持ちしたのだろう。洋館は庇が短いので窓からの漏水が多い。躊躇していれば相当痛んだはずである。オーナーの長年のメンテナンスのおかげで、こうして建物と出会えたことに感謝したい。
これぞ京の近代和風橋
当ルート最後を飾るのは、京阪出町柳駅へ渡る賀茂大橋だ。灯籠型の照明が当時としては珍しく、ほぼ最初期の和風橋灯だ。街路に和風を持ち込むことをもくろんだ武田らしいデザインだ。上流の河合橋も掛け替え時に賀茂大橋にならって同じデザインになっている。同じようなデザインが増殖していくのもおもしろい。風景は呼び合うものなのだ。
円満字 洋介
建築家