縄文人が飲んでいた「酒」とは?

日本人の祖先は、一体、どんな酒を最初に口にしたのでしょうか?

それは、日本酒ではなく、果実酒がはじまりのようです。諸説ありますが、縄文時代中期の頃、アルコール発酵するための条件が偶然重なり、山ブドウの酒が最初に飲まれていたとされています。

1953(昭和28)年、長野県富士見町の井戸尻遺跡群から出土した、歴史的にも有名な有孔鍔付土器の内側に、山ブドウの種子が見つかりました。いくつか発見されたこの土器は、アルコール発酵にとって理想的な大きさと形状だったのです。同じ遺跡から、縄文人が飲んでいたであろうカップ状の土器、神棚への供養に使用された可能性のある椀型の土器も出土しています。

山ブドウにはそもそもアルコール発酵に必要な糖が含まれているので、酒が自然発酵する条件は整っていました。山ブドウの皮に付着していたり、空気中に浮遊していたりする野生酵母が糖を吸収してアルコール発酵が進み、酒ができていたと考えられています。

縄文人が初めて山ブドウから立ち上るアルコールの香りを嗅いで口に入れてみたときの感動はどんなものだったのでしょうか。なぜか体が温まり、高揚する気分になり、きっと魔法でもかけられたような魅惑的な体験だったのではないかと思いをめぐらせています。

実は、時を同じくして果実酒だけではなく、穀物酒が飲まれていた可能性もあると言われています。井戸尻遺跡群から、黒く焦げたパンのようなものが発見されました。当時、でんぷんを食べていたならば、でんぷんによる穀物酒も飲んでいたかもしれないという推測に基づいた説です。

ただ、麹がない時代に、糖に分解されないままでんぷんからどうやってお酒ができたのか、疑問をおもちの方も多いと思います。これについては、学者により諸説あるものの、「口かみ酒」が有力とされています。口かみ酒は、人の口で咀嚼されたでんぷんが、唾液の酵素(アミラーゼ)で糖に分解され、空気中の野生酵母の働きでアルコール発酵が行われる仕組みで醸されます。

有孔鍔付土器はでんぷんを吐き出す器として使われていたと推測することができます。縄文時代晩期には、陸稲の籾の発見例が多く、弥生時代の前にも陸稲耕作が行われていたようです。つまり、米があったとすれば、米による口かみ酒もこの時期に始まった可能性を否定できないということです。

ただし、口かみ酒を造るには、でんぷんを含む米を口の中でかみ続けなければならず、かなりの重労働。私の場合、一口サイズの米を、何度頑張ってみても1分以上かみ続けることは困難でした。あごも痛くなり、口内でドロドロになった米を飲み込まずにはいられませんでした。

口かみという辛い作業からの解放となったのが、「麹」の技術革新による「麹酒」の誕生です。麹菌は、空気中に浮遊したり、稲わらにすんでいたり、神棚に備えた餅にカビとして発生したりもします。たまたま器に入っていた米に麹菌が付いて、雨漏りなどで水が加わると、麹菌の働きで米のでんぷんが糖化されます。さらに、空気中の野生酵母によりアルコール発酵が行われ、偶然の産物としてお酒が誕生。古代人がこのことに気付いて工程を再現し、麹酒が飲まれていたのではないかと考えられています。

カビ(麹菌)による酒造りが初めて文献に登場したのは713(和銅6)年から715(和銅8)年頃に編纂されたとされる「播磨国風土記」です。それ以前の記述はありませんが、弥生時代の初め頃には、すでに麹酒が始まっていたのではと推測されています。

麹を使った酒造りは日本だけではなく、東南アジアや東アジアにもあります。ただ、海外ではすべて「クモノスカビ」が使用され、日本酒は唯一、麹菌「コウジカビ」が使われています。日本の四季や風土にも適応している麹菌は、日本酒をはじめ、日本の伝統食に欠かせない存在。こうしたことから「国菌」と呼ばれています。