1985年に阪神タイガースは、華々しい優勝を遂げています。この優勝には、4番バッターとしてあるべき姿を追求した、元阪神タイガース掛布雅之氏の信念が大きく貢献していました。掛布氏の著書『常勝タイガースへの道 阪神の伝統と未来』(PHP研究所)より、阪神が優勝を成し遂げた要因をみていきましょう。
3番と5番を生かす「4番のバッターの役割」
4番はグラウンドの中ではエースピッチャーと同様に、ゲームに対する責任を背負わなければならない存在である。田淵さんが西武ライオンズに移籍した後、4番を任された私が意識していたことである。
ただ、自分が打たなければ勝てないという考え方では、本当の意味での4番打者の役割を果たすことはできない。
4番で、自分が打たなければ勝てないと思い込んでいるバッターがいるが、それは大きな間違いである。1試合4打席の中で、どういう仕事をして前後の選手を生かすことができるかを考えられる選手が、本当の4番だと私は思っている。
私自身は85年の阪神の日本一のときに4番を打ったが、前にバースがいて、後ろには岡田がいた。この2人のバッターは共にすごく調子がよかった。そのときに4番としてどういう仕事をすれば、3番と5番をつなげられるかを常に考えていた。
私は、15年間の阪神での野球人生において、85年の野球が1番我慢したシーズンだったと今なお思っている。
打率3割、40本塁打、108打点、そして94個のフォアボール。
私は4番打者として、「3割、40本塁打、100打点」というものを最低の目標として掲げていたが、それをクリアしたのは85年だけだった。引退してから冷静に総括すると、打席での我慢があったからこそ結果としてついてきた数字だった。
4番の私の調子が悪ければ、3番のバースは勝負を避けられてしまうだろう。そのような4番では失格だ。4番の強さを見せつけなければならない。「ひとつ間違えば」と投手心理をかく乱するものが私になければ、バースは歩かされて勝負してもらえなくなる。私は、バースの後ろ盾になるための条件として「40本以上のホームランが必要だ」と考えていた。チームの勝利に貢献できる真の4番打者の役割とは何か。そういうことを突き詰めてプレーした1年だった。
そして、仕掛けを遅らせた。
つまり、打ちにいくカウントを遅くしたのである。
私はどちらかというと、元々仕掛けが遅いタイプのバッターではある。しかし、さらに遅くした。甘いボールをあえて見送ったケースもある。
5番の岡田の調子がすごくよかったので、私が仕掛けを早くしてアウトになる確率を高めるよりも、仕掛けを遅くして、フォアボールの確率を高めた。4番の私が出塁することで、岡田につなげることができれば、それが得点につながる。
私は内野安打を打てるようなバッターではないので、岡田のホームランを得点につなげるためには、ヒットを打つ以上にボールを見極めて100個近いフォアボールを選ぶことが、阪神の得点につながるんだと考えていた。3番と5番に仕事をしてもらえるような、そういう4番というものが、私は本来あるべき4番の姿だと思っている。
もし、そういう我慢の打席を重ねずに、好きなボールを何も考えずに打っていれば、ホームランは50本を超えたのかもしれない。しかし、94個のフォアボールと、打率3割を達成できたかどうかはわからない。そして何より、その50本のホームランは、優勝につながるホームランにはならなかったのかもしれない。