「阪神には歴史はあるが伝統はない。巨人にはその伝統があるんだ」という小林繁さんの言葉は、自分に対する強烈なメッセージだったのではないかと掛布雅之氏は当時を振り返ります。掛布氏が考える「阪神の伝統とは?」の考えの一端を、著書より抜粋してご紹介します。 ※本連載は、掛布 雅之氏による著書『常勝タイガースへの道 阪神の伝統と未来』(PHP研究所)より一部を抜粋・再編集したものです。
「阪神には歴史はあるが伝統はない。巨人にはその伝統があるんだ」
1979年1月、巨人のエース小林繁さんと阪神に1978年にドラフト1位指名された江川卓さんとの日本球界を巻き込んだトレード。
小林さんは、76年、77年と先発で18勝を上げ、77年と79年には沢村賞も獲得した巨人のエースだった。
小林さんは都内の球団事務所で記者会見を開き、阪神タイガースへの入団を発表。会見を終えてすぐに阪神のキャンプ地である高知県安芸市に赴き、練習に合流した。地元のラジオ局は小林さんの到着を臨時ニュースとして報じ、安芸市の人口の半分以上の人々がキャンプ地の球場に詰めかけたといわれている。
小林さんは、阪神ナインを前にした第一声で「阪神には歴史はあるが伝統はない。巨人にはその伝統があるんだ」と発した。
前年のシーズンオフに電撃トレードで田淵幸一さんが阪神のユニフォームを脱ぎ、75年のシーズンオフに江夏豊さんも南海にトレードされていなくなっていた。阪神を支えてきた2人がいなくなってから、チームのために何ができるのだろうと自問自答する日々の中で、何かすごく悔しい思いをしたことは鮮明に記憶に残っている。
ただ自分のその気持ちの中で、阪神に本当に伝統というものがあるのだろうかと考えた。やはりチームが勝たなければ伝統はつくれないと思ったのも事実だ。巨人に伝統があるのは、勝利を積み重ねた結果、培われてきたものだろう。
だから小林さんは、これから新しい阪神としての伝統というものをつくっていくために「勝つ野球」をやる必要があると言っていたのだ。それは、私に対する強烈なメッセージだったのではないかと今改めて痛切に感じている。
小林さんは、ドン・ブレイザー監督に巨人戦での先発を直訴。開幕2戦目の4月10日の巨人戦から対巨人8連勝を飾った。「小林よりも江川のほうが戦力になる」と巨人フロントが考えて自分は出されたのだと思い、プライドが傷つけられたことを自分のエネルギーに変えるかのごとき獅子奮迅の活躍だった。この年、22勝で再び沢村賞を獲得。
私は、小林さんが熱投する姿を見て、生え抜きの四番打者として「こういう人に負けられない」という思いを抱いていた。それは、他チームのライバルだった山本浩二さんらに対するよりも熱いものだった。
その後、小林さんは83年に現役のユニフォームを脱ぎ、近鉄などのコーチを歴任していたが、57歳の若さで心筋梗塞のため逝去された。
小林さんが住んでいた福井のマンションに行き、お線香を上げさせていただいた。そのときに小林さんに対して「ありがとうございました」と素直に言えた。
それは、安芸キャンプでのあの一言が、自分の野球の中で大きな支えになっていたということである。「阪神には伝統がない」という言葉に大きな刺激を受けて「阪神に伝統をつくるには勝つことだ」という思いが、85年の優勝に結びついたのは間違いない。
24歳のときに48本のホームランを打てたのは、間違いなく小林繁さんの言葉に刺激を受けたからである。